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木曜島の潜水夫(42)

日本から木曜島に戻ったトミーは、それからも精力的に、慰霊塔建設のために働いた。1979年には75ドル(3万円相当)の自費を出して、慰霊塔のための土地を買った。それから島の日本人の有志達と慰霊塔のデザインなどが話し合われる毎日が続いた。そんな中、ジョセフィーンが病に陥った。胃がんだった。段々胃痛を訴えるようになって食欲がなくなりやせ細っていき、気が付いた時は、ガンはかなり進行していた。島には病院がなかった。だから医者の勧めで、ブリスベンの病院に運ばれ、治療を受けることになった。トミーは気が気ではなかったが、慰霊塔の建設で多忙な中、ブリスベンに一緒に行くこともできず、ジョセフィーンの世話を、ブリスベンに住むジョセフィーンの義妹の家族に面倒を頼んだ。今でこそ、癌は不治の病ではないが、その頃は癌に対して有効な治療はなかった。死期を悟ったジョセフィーンはしきりに家に帰りたがった。その時、チオミは海外にいたが、母親の入院を聞いて驚き、急遽オーストラリアに戻り、帰宅を望むジョセフィーンを、医者の反対を押し切って、木曜島の家に連れて帰った。しかし珠代やチオミの必死の看護もかいなく、ジョセフィーンは病気から快復することもなく、1979年7月15日家族に見守られながら、この世を去った。ジョセフィーンが息を引き取った後も、トミーはジョセフィーンの手を握ったまま、いつまでもジョセフィーンの顔をみつめて、そばを離れようとはしなかった。11歳もトミーより年下だったジョセフィーンが、トミーよりも先に死ぬとは誰も思ってもみなかった。それからのトミーの気の落ちようは、誰の目にも明らかだった。寡黙になっていたトミーは、ますます寡黙になり、一人でバルコニーに座って、タバコをふかしながら海を眺めていることが多くなった。それでもトミーを突き動かしていたものが一つあった。慰霊塔の設置だった。木曜島で亡くなった同志の霊を弔みたいという一念で、慰霊塔の設置を推し進めた。
その慰霊塔は、ジョセフィーンが亡くなってちょうど一か月後、トレス海峡で初めて真珠貝採取の潜水が行われ始めて100年目の日本のお盆にあたる1979年8月15日に開幕式をすることができた。
ここで、話が少しそれるが、日豪関係の歴史研究家として知られるシソンズ博士によると、実際には、日本人潜水夫が初めて木曜島に来たのは、1876年のことで、1879年ではない。木曜島に来た初めての潜水夫は島根出身の乃南小次郎と言う人物だった。乃南は1976年木曜島行きのラガー船にポンプ労働者として契約乗船し、木曜島にやって来てからはマレー人から潜水技術を学んで、潜水夫となった人物である。だから、1979年が百年目というのは正しくないことになるが、ともかく百年以上の歴史を持つことになる。
慰霊塔は日本郵船が無料で輸送してくれた日本の御影石でできていた。真珠貝産業に従事した島の人の遺族や日本人の遺族が、それぞれ思い出の品を箱に入れて提出し、それを慰霊塔の中に収めた。慰霊塔には「これは、トレス海峡地域で働き、生き、死んだ日本人の1世紀を記念するものである。約700人の日本人がトレス海峡地域で亡くなった。御霊よ、安らかに眠れ」と記された。
 慰霊塔と共に、名前も分からなくなっていた人の墓が「無縁の墓」として、慰霊塔の傍に建てられた。立派な御影石でできた墓は「木曜島遺族の会」の支援で建てられた。
 開幕式のために綱ひもを張って多くの提灯が吊るされ、まるで日本のお祭りのように飾られた。大河原良雄日本大使を初めとして、和歌山に戻った木曜島で働いていた元潜水夫30人も、日本から来て参加した。トミーはその中に見慣れた顔を見つけて再会を喜び、昔話に花を咲かせた。
式典の後は、参列者はレインボー・モーテルで、食事をもてなされた。

参考文献
「オーストラリア・木曜島に渡った日本人の足跡を追う―藤井富太郎氏の生涯から考える」 
伊井義人、青木麻衣子 (藤女子大学貴陽第49号第Ⅱブ:1-9,平成24年
「トーレスの海に生きた日々」 (オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年18-19ページ 城谷勇 
「日本人潜水夫の採貝技術」(オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年20-21ページ 城谷勇
「最後の潜水夫 藤井富太郎さんと日本墓地」(オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年 茂木 ふみか 22-23ページ
「捕らわれの記」  城谷勇 (オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年66-67ページ
“Tomitaro Fujii: Pearl Diver of the Torres Strait” by Linda Miley,  Keeaira Press: Published in 2013 
「オーストラリア日系人強制収容所の記録」  永田由利子  2002年
「カウラの突撃ラッパ」  中野不二夫 1991年
「語られ始めた日本人抑留体験―オーストラリアとニューカレドニアを比較してー」
 永田由利子
ウエブ検索
The pearling industry in Australia: https://tanken.com/moku2.html   
「オーストラリア木曜島へ行く:真珠貝採取の日本人」
jstor.org/stable/pdf/j.ctt1q1crmh.8.pdf   
 “The Japanese in the Australian Pearling Industry “ by D.C.S. Sissons   jsto.org/stable/pdf/j.ctt1.1crmh.8.pdf
「南半球便り(その86):遥かなる木曜島」山上信吾、在オーストラリア日本大使館ウエブサイト」
https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/102/102050904.pdf
「第二次大戦前のオーストラリアへの日本人移民の諸問題」 遠山嘉博

著作権所有者:久保田満里子






 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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