恐怖の一週間(1)
更新日: 2024-08-12
外はまだ暗かったが、目を覚ますと、今さっき見た奇妙な夢が、よみがえってきた。それは、まだ口もちゃんとできていない胎児が、「お母さん、僕を殺さないで!」と、私に懇願している夢だった。頭と小さな手と、そして小さな足の輪郭だけができた肌がまだ透明なような胎児。顔はわずかに目ができかけている。その胎児の言葉はまるでテレパシーのように私の胸を突き刺した。そして私は20年前、中絶してしまった子供のことを思い出し、胸がつまり、思わず涙をこぼした。
20年前私は大学卒業後、外資系の商社に就職し、嬉しさいっぱいだった。得意な英語が使える仕事についたのだ。でも、現実は厳しく、業績が売り上げと言う形で出てくる仕事は、かなりきつかった。思うように契約が取れず、落ち込んだとき、私を慰めてくれたのは、直属の上司、木村課長だった。今から思えば、私が木村に熱い思いを抱くようになったのは、誰かに頼りたいという私の心の弱さからだったと思う。木村が2歳と5歳の子供を持つ愛妻家だということを知りながら、関係を持ってしまったのは、入社後6ヶ月目のことだった。それから、私は木村にのめりこんでしまった。木村の姿が見られると思うと、会社に行く足取りも軽かった。そして、恋をする女の例に漏れず、私にも木村を独り占めにしたいという欲望が段々頭をもたげかけた。木村を独り占めにするためには、木村の子供を生むことだと思い込んでしまった自分が、今では信じられない。あの時は理性というものがなくなっていた。そして妊娠したことが分かったとき、私は喜び勇んで木村に告げた。
「私、赤ちゃんができたわ」
そう告げた時の木村の苦りきった顔を、今でも忘れはしない。黙りこんでしまった木村に、私はショックを受けてしまった。長い沈黙のあと、木村は「すまないけれど、子供はおろしてくれないか」と、かすれた声で言った。
その晩、私は一晩中泣き明かした。翌日私は泣きはらした顔を会社の同僚に見られるのがいやで、仮病を使って、会社を休んだ。そのあと、大学時代からの親友の和子に電話して事情を話すと、和子はすぐに飛んできてくれたが、「あんたって、馬鹿ね」と、あきれられた。「まあ、あんたが木村さんを好きになって、木村さんと愛人関係になったのは、私にも分からないわけじゃないけれど、子供を作るなんてこと、誰が考えたって無謀よ。私生児が歓迎されるはずないじゃない。残酷なようだけれど、子供はおろすしかないでしょうね」
和子にまで中絶するように言われ、私は孤立無援の状況になったことを知った。親にはこんなこと言えるはずがない。結局一週間悩んだ末、恐怖で打ち震える心で、一人冷たい手術台にあがった。麻酔をかけられ意識を失っている間に、子供は下ろされていた。意識が戻ったときは、子供に対する罪悪感よりも、自分を避けるようになった木村に対するうらめしさでいっぱいだった。
それまで、あんなに木村に会うことが楽しくてしかたなかった会社が、中絶した後では苦痛でしかなくなってしまった。会社へ向かう途中、踏み切りの前に立って、電車に飛び込むことも考えた。
もう、こんなところにいたくない。それから一週間後、私は思い切って会社に辞表を出した。親には会社を辞めたあと報告をしたのだが、会社を辞めた原因を知らない親は、ただただ私の無鉄砲さに唖然としていた。実家に帰って部屋に閉じ困ったままの私に、ある日、母が部屋にズカズカと入ってきて、いらだたしげに聞いた。
「これからどうする気なの?」
その時、思わず、ぽろっと「オーストラリアに行く」と、言ってしまった。その前ぼんやりと見ていたテレビで、オーストラリアにワーキングホリデービザで行く若者が紹介されていたからだ。何も深くは考えてはいなかった。
(続く)
ちょさ
コメント