恐怖の一週間(7)
更新日: 2024-09-21
ダンは、元気いっぱいで出張から帰ってきた。「よしこも一緒に日本に行けばよかったね。ちょうど気候も良くて、つつじの花が満開できれいだったよ」と言った。
私は、いつ良霊童子の話を切り出そうかと、話す機会をうかがっていた。
ダンは寝室に入ると、私のベッドサイドテーブルにおいていたお札を見て、不審に思ったようだ。
「これ、なに?」と聞いた。
私は、今がすべてのことを話すチャンスだと思った。
「それは、実は私の子供の戒名なの」
「君の子供?戒名?何のことだ?」
「20年ばかりも前のことになるけれど、日本で私は好きな人がいたの。その人の子供をみごもったんだけれど、彼は家庭のある人だったから結婚できなかったの。で、その子を中絶してしまったの。秘密にしていて、ごめんなさい」
ダンは一瞬厳しい表情になった。
「で、どうして今頃子供の戒名なんかもらったんだ。その男と僕のいない間に会ったのか?」
私はダンの誤解にびっくりして、慌てて最近私の身に起こった事件を話した。
「布団カバーに血がついていた?」
「そう、それに私のパジャマの袖にも」
ダンは、腕を組んで考え始めた。何とか合理的にその説明ができないだろうかと、頭をめぐらしているのが、私には読み取れた。
「ミーちゃんがけがでもしていたんじゃないか?」
「私も最初そう思って、ミーちゃんを調べたんだけれど、どこも怪我をしていなかったわ」
また考え込んだダンは、急に私に向かって、
「良子、腕を出して見せてよ」と、言う。
「腕?」
「うん。前に肘のところに豆のようなものができて、膿んだようだと言わなかった?」
「そういえば、確かにできていたけれど…」
私は痛くもかゆくもなかった豆のことをすっかり忘れてしまっていた。
私はセーターの腕をまくしあげて、ダンに肘を見せた。自分では肘が見えないのだ。
「ここ、押しつぶれているよ。きっと、パジャマの袖についた血っていうのは、この豆がつぶれて出た血じゃないのか?きっと、そうだよ」
「そうか。そうだったのか」
私は、ダンの推理に感心した。確かに、寝ている間に、あの豆がはじけて、血が飛び散ったということは、十分考えられる。でも、布団カバーについた血は、どう説明できるのだろう。
しばらく考えていたダンは、突然何かに思い至ったようで、
「布団カバーはいつもどこに干すの?」と、聞いた。
「勿論、洗濯ロープをかけているところだけれど…」
そういうと、ダンは庭に出て、洗濯ロープのある場所に、すたすたと歩いて行った。私はダンがなにをするのだろうかと不思議に思いながら、黙ってついて行った。
ダンは、洗濯ロープの上を見て、
「これだ!犯人はこれだよ!」と、叫んだ。
私もダンが指差すほうを見ると、裏の公園に生えている木が大きく我が家の庭に張り出していて、洗濯ロープの上を覆っていた。そしてその木には、赤い実がぎっしりとなっていた。
「この実が布団カバーに落ちてしみになったのを、君は血でできたしみだと勘違いちたんじゃないか?」
と、言うと、枝をひっぱって、実をいくつか採ると、家にもって帰ってきて、タオルにこすり付けた。そして、そこについたしみを私に見せた。
それは、ちょっと茶色がかった赤いしみだった。あの恐怖にかられた日に見たしみと同じだった。
「これと、同じしみだったわ!」
そういうとダンはにっこりして、
「君は、自分が堕胎した子の夢を見て、恐怖心が起こっていたところに、このしみを見た。だから、すぐに血だと勘違いしたに違いない」
「そうね。布団カバーのしみも、パジャマについた血も、私の恐怖心から勝手に連想してしまったのね、きっと」
「そうだよ。幽霊なんてこの世にいるはずないんだよ」
ダンは自信をもって、断言した。
私は、「そうね」といいながら、どこか全面的にダンの言葉に賛同しかねている自分を感じた。そして、心の中でつぶやいた。
「血のことは、それで説明できるけれど、一つだけ説明できないことがあるわ。それはあの奇妙な夢。どうしてあの日に限ってあんな夢を見たんだろう。それは、ダンにだって説明できないだろう。ダンは私の潜在意識に中絶した子供への罪悪感があったからあんな夢を見たのだろうと説明しようとするかもしれない。でもどうして19年もたってあんな夢を見たのか。そして偶然にもあんなことがあったのか。なんだか死んだわが子が私の自分勝手な生き方に反省を促すために出てきたような気がする」
そして、心の中で良霊童子に手を合わせていた。
(続く)
著作権所有者:久保田満里子
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