私のヒロシマ(1)
更新日: 2025-02-23
「広島に原爆が投下されたのは、まあ、自業自得ですよ。日本が戦争を始めて他の国に多大な被害を及ぼしたのに、犠牲者面して、原爆反対を訴えるなんておかしいですよ。あの原爆のおかげで戦争が早く終結して、アメリカも日本も被害者を少なくすることができたんですからね」そういうリチャードの顔を私は驚いて見た。リチャードは私が事前に調べたところでは、日本語と英語の翻訳家だった。日本語がペラペラなら、さぞかし親日派なのだろうという私の期待はものの見事にはずれ、リチャードの痛烈な日本批判が始まった。私は日本の出版社から依頼されて、日本語のできるオーストラリア人をインタビューして本にまとめるため、リチャードをインタビューしたので、国際情勢に関して議論する予定ではなかった。彼がどういう動機で日本語を勉強したか、どういう勉強の仕方をしたか等、予定通りの質問を終えた後、彼の奥さん、聡子さんが、コーヒーを出してくれたところで、三人で雑談をし始めた。その時、私が広島出身だと言い、ついでにヒロシマの原爆投下をどう思うかと聞いた答えが、リチャードの原爆投下是認論だった。
私はヒロシマ出身とはいえ、戦後生まれのため、原爆のことは人の口を通してしか知らない。身内に被爆者もいない。しかしヒロシマの原爆資料館に行くと、閃光で焼き尽くされた町や人々の様子が再現されていて、いかに悲惨な状態だったかは、胸の奥深くに刻み込まれている。
原爆で体が焼かれてしまった人々は、のどの渇きをうるおし、体の熱を冷やすために黙々と川に向かったという。その時、人々は両手を突き出して、服はほとんど焼けて丸裸のような状態で、まるで亡霊のように行進したと聞く。腕の皮がずるりと剥げ落ちているため、手を下げて歩くと、剥げた皮が地面で引きずられて痛いので、両手から剥げ落ちた皮が地面につかないように、皆両手を突き出して歩いたそうだ。途中で行き倒れる人も多くいたが、運よく川べりにたどり着いた人も、川の水につかって折り重なった多く黒焦げの死体のため、川の水面に近づくこともできず、多くはその死体の山の一部と化してしまったということだ。川にたどり着くことができなかった人も、黒い雨が降ってきたとき、それが放射能を含んだ雨だとも知らず、のどの渇きを潤すために、雨に向かって口を大きく開けて、黒い雨を飲んだという。黒い雨に打たれた人は、後で髪が抜け始め、体のだるさを訴え、白血病になって亡くなったと言う。
「原爆は普通の爆弾と違って、その場で死ななくても、後で放射線の後遺症で、白血病はもちろんのこと、いろいろな癌にかかって苦しんで死んでいった人がたくさんいるんですよ。そんなの許せませんよ」
私の声は、一段と大きくなり、リチャードを非難する口調になっていた。
「それは、確かに気の毒だったけれど、アメリカはその前に降伏するように勧告しているんだよ。それを無視して、戦争を続けたのは日本だよ」
リチャードは、あくまでも是認論を変えようとはしなかった。
「ポツダム宣言のことですか?でも、その時は、無条件降伏なんていうから、いけないんですよ。それに、無視したわけではなく、黙殺したというので、無視とはちょっと違いますよ」
私の反論に、リチャードは、
「君、もう少し歴史を勉強したほうがいいよ」と言うので、私はむっとした。
ちょ
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