モンテンルパの夜は更けて(1)
更新日: 2026-09-14
戦争の話と言えば悲惨きわまるものと言う私の先入観を覆すような、心温まる話に出会いました。皆さんにもこのお話をお伝えしたいと思い書いてみた、実話に基づくフィクションです。人気歌手の渡辺はま子は、NHKラジオ「陽気な喫茶店」の司会をしていた松井翠声から手渡された手紙を読み返した。1952年のことである。手紙の送り主は加賀尾秀忍(しゅうにん)となっていた。
「突然お便りをするご無礼をお許しください。私はフィリピンのマニラ郊外のモンテンルパにあるニュー・ビリビッド刑務所の教誨師をしていた真言宗の僧侶の加賀尾秀忍と申します。皆さまご存知ないかもしれませんが、この刑務所には、戦後7年たった今も、日本人のB級C級(注:A級とは平和に対する罪、B級は人道に対する罪、C級は捕虜の虐待などの戦争犯罪)の戦犯150名が収容されています。今年1月19日に14名が処刑されました。そのうち13名はセブ島での村民虐殺事件にかかわったと言う罪状でしたが、私が彼らから聞いたところによると、そのうちの半数近くがセブ島などに行ったこともないというのです。フィリピン政府は日本政府に対して80億ドルの賠償を要求していましたが、アメリカがサンフランシスコ講和条約で無賠償にしたことに対する腹いせから、突然死刑が執行されたと戦犯たちは言っております。真偽のほどは私には分かりませんが、フィリピンの刑務所で悲惨な状況で絶望的な気持ちで過ごしている人たちがいることを、日本の皆さんに知ってもらいたいと思います。そこで、渡辺はま子さんに是非戦犯の気持ちを歌った歌を歌ってほしいと思い、死刑囚の元憲兵、代田銀太郎氏に作詞をしてもらい、元将校の伊藤正康氏に作曲をしてもらった『ああ、モンテンルパの夜は更けて』の楽譜をお送りします。…」
はま子は、早速同封されていた楽譜を見ながらピアノでメロディーを弾き、歌ってみた。
「モンテンルパの夜は更けて、つのる思いにやるせない。遠いふるさと忍びつつ、涙に曇る月影に、やさしい母の夢を見る
つばめはまたも来たけれど、恋し我が子は、いつ帰る。母のこころは一筋に南の空へ飛んでいく。定めは悲し呼子鳥
モンテンルパに朝が来りゃ 昇る心の太陽を、胸に抱いて、今日もまた 強く生きよう 倒れまい 日本の土を踏むまでは」
はま子は歌っていて、胸にジーンときた。はま子自身収容所暮らしを経験している。陸軍の要請で、中国に派遣されていた兵士の慰問訪問をしていたはま子は、天津で終戦を迎えた。それから天津での1年間の捕虜生活で、毎晩不安と望郷の念に苛ませられたのを思い出したのだ。曲を歌い終わって、思わず涙ぐんだ目を拭いていると、いつの間にかそばに来て耳を傾けていたディレクターの磯部が 「悲しみが胸に迫ってくる曲ですね。何と言う曲ですか?」と聞いた。はま子が事情を話すと、「この曲をレコードにしましょう」と言ってくれた。それから、5番まであった歌詞を2番落として3番で編曲し、宇津美清とのデュエットの曲として、その年の7月に発売された。この曲は、またたくまに20万枚を超えるヒット曲となった。
(続く)
著作権所有者:久保田満里子






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