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もしもあの時(最終回)

「きのうは、ジェームズ・ハリス氏を殺害した犯人が実刑を免れましたが、どうしても納得できません。私はハリス氏と10年以上つき合っていますが、ハリス氏は虫も殺せないような優しい人でした。その人を殺した犯人は前途有望な金持ちのお坊ちゃんであったがため、優秀な弁護士を雇って刑をまぬがれることができました。ハリス氏は中学校を卒業した後、町工場にずっと務めていました。ハリス氏は貧しいし、世間から偏見をもたれることが多いゲイで、社会的に弱者の立場の人でした。今回の判決は社会的に底辺にある人を殺しても、金持ちの前途のある若者なら罰せられなくてもいいと言う、不平等な社会に私たちは生きていることを示唆しているように思えます。オーストアリアはa fair go、全ての人に平等のチャンスを与える国のはずです。それなのに、こんなことが許されていいのでしょうか。ハリス氏のパートナーだったリチャードはきのうの判決を聞いて、悲嘆のあまり、自殺未遂をしたことも付け加えておきます」
そう言えば、自分が実刑を免れた喜びに浸っていて被害者のことを全く忘れていたことに気づいた。その投書を読み終えた後、ポールのところにテレビ局から、インタビューしたいと電話がかかってきた。
「マクミランさん。人を殺しておいて何のお咎めも受けないことに対して、世間で非難の声が上がっていますが、それに対してどう思われるか、インタビューさせてもらえませんか?」
「ノーコメントです」と言って電話を切った。ピラニアのように寄ってくるジャーナリストにむかっ腹が立った。そして何か悪いことが起こりそうな胸騒ぎがした。
一週間後、スティーブから電話があった。
「検察庁は、判決を不服として上訴することに決めたそうだよ。新聞の投書を読んだかも知れないけれど、人を殺しておいて刑務所に行かないのはおかしいと言う世論が起こったので、検察庁もその世論を無視できないようだね。今度は前ほど軽い判決がおりない可能性が高いから、その覚悟をしておいてくださいよ。」
やっと事件を忘れられると思ったのに、また悪夢の日が舞い戻って来た。

それから1年後、ポールは刑務所の小さな独房の中を檻に入れられたクマのように行ったり来たりしながらつぶやいていた。
「もしも、あの時、あの女に会わなかったら、、。もしも、あの時、あそこに二人の男がいなかったら、、。そして、もしもあの時、あの二人が逃げ出したりしなかったら、、」



著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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