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EMR (3)

「誰?」と若い男の声が中から聞こえた。
「あのう、今日お隣に引っ越してきた林理沙と言うものですが」と言うと、ドアの真ん中についている小さな覗き穴から、理沙の顔を見たのであろう。しばらくすると中でガチャガチャとチェーンをはずす音がした。ドアを開けたのは、紺色のTシャツとジーパン姿の、学生のような感じの十代の終わりか二十代前半と思われる白人の男だった。
「あのう、今日引っ越してきた林理沙と言いますが、よろしくお願いします」と言うと、その男は三人をじろりと見て、
「三人で暮すの?」と胡散臭そうに聞いた。
 ベッドルームが一つしかないのに、三人で暮すのは無理なことは誰の目にも明らかなのに、変なことを言う奴だと、理沙は思った。
「いえ、私一人です。こちらは今日引越しを手伝ってくれた友人のエイミーと省吾です」と、後ろの二人を振り向きながら紹介した。
 その男はそれを聞くと不機嫌だった顔が少し和んできた。最近は家賃の支払いが大変なため小さな所に何人も一緒に住む海外留学生が多いと言う話を聞いたことがある。私たちもそんな貧乏留学生に間違われたのかもしれないと、理沙はその男の態度の変化をみて思った。もっとも、エイミーは白人だが。
「そう。僕はマイケル・ロビンソンって言うんだ」と、握手をするために手を差し伸べた。
 挨拶がすむと、理沙はすぐに前の住人のことを聞いた。
「私が来る前お隣に住んでいた人は、どんな方だったんですか?」
「さあね。時折見かけることはあったけれどね、口を利いたことはないな」
「あ~あ、やっぱり」と三人の顔に失望の色が浮かんだ。
「じゃあ、名前とか、職業も分からないんでしょうか?」
「うん。知らないね。夜遅く帰ることが多かったみたいだけど」
「男の人ですか?女の人ですか?」
「三十代くらいの男だったよ」
「そうですか」
「何か、あったの?」
「いえ、別に。では、これで。よろしくお願いします」と三人はすごすごと引き上げた。
  マイケルがドアを閉めると、理沙の口から大きなため息が漏れた。
「やっぱり、お隣にはだれも関心がないんだ」
「でも、右隣の人は何か知っているかもしれないよ」
 省吾になぐさめられて、気を取り直した理沙は右隣のマンションのドアの前に立った。
呼び鈴を押すと、「どなたあ?」と女の声がした。
「今日隣に引っ越してきた理沙というものです」と理沙が言うと、ドアが開いた。
 年齢は四十歳ぐらいであろうか。茶色の短い髪をした面長で睫が長く黒い目の大きなスペイン系の美人だった。
「私、今日からお隣に引っ越してきた林理沙って言うものです。こちらは今日引越しの手伝いに来てくれた友人のエイミーと省吾です」
 誤解をされる前に、急いで理沙はエイミーと省吾の紹介も付け加えた。
「ああ、そう。私はシェリルって言うの。よろしくね」とシェリルはニコニコしながら言った。マイケルに比べるとずっとフレンドリーだ。エイミーと省吾は理沙の後ろに立ち、理沙とシェリルの会話に耳を傾けていた。
「あのう、前にお隣に住んでいた方のことを、ご存知ありませんか?」
「えっ?どうして?」
「何か忘れ物をされたようなんですが、大切なものではないかと思って、連絡をしたほうがいいかなと思って」
「さあ、私もたいしてお隣さんのことを知っていたわけではないけれど、名前は確かハリーと言っていたわ。苗字のほうは知らないけれど」
「それじゃあ、引越し先もご存じないでしょうね」
「知らないわ。残念ながら。でも勤め先は聞いたことがあるわ」
「どこですか?」
「東オーストラリア大学だと、一度聞いたことがあるけれど」
 東オーストラリア大学は学生数が3万人もいる総合大学である。ハリーというようなありふれた名前の人物は何千人とまでは言わなくても百人くらいはいるだろう。せめて、学部でも分かれば、見つけ出せるかもしれない。
「そうですか。どこの学部の方か、分かりますか?」
「一度、夜遅く帰ってくるのに出会ったとき、実験で遅くなったなんていっていたから、理学部か工学部、それか医学部っていうところじゃないかな」
「そうですか。ありがとうございました」
「大切な物だったら、そのうち取りに来るでしょうから、そんなに心配しなくてもいいんじゃないの」とシェリルは言った。確かにシェリルの言う通りなのだが、奇妙なものの正体を早く知りたいのだ。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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