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EMR (18)

一体どうなっているのだろうかと、また不安になってきた。土曜日の朝は『ジーンズ・オンリー』は開いているはずだ。またまたあの店に行って、あの男を監視したほうがいいのではないかと言う思いが頭にもたげかけた。いやいや、自分は警察に通報したのだから、あとは警察に任せればいいんだとも思う。そんな思いが交錯する中、朝ごはんをすませたところに、ハリーから電話がかかってきた。
「きのうは、お疲れ様」
「いえ。今朝からニュースを聞いているんですが、あの男が逮捕されたというニュースはまだ報道されませんね」
「そうだね」
「どうしてなんでしょう。私、また警察に任せていて大丈夫かしらと心配になってきたんですよ」
「まあ、警察も、もしかしたらあの男の背後の組織も探りたいだろうから、報道をしないのかもしれないよ。そんなに、君が自分の起こした事件のように、心配することないよ」
「もしも、もしもですよ、テロ爆破がそのまま実行されたとして、どこが標的になるんでしょうかねえ」
「そんなことを心配しているの?」
「ええ、心配ですよ」
「そうだなあ、州議事堂とか、メルボルン・セントラル駅とか、メルボルン空港とか。そうそう、この間はオーストラリア陸軍の基地を狙った計画が暴露されたよね。そういう所も狙われるだろうなあ」
「メルボルン・セントラル駅でやられたら、たまりませんよね。あそこは地下に駅があるから逃げ場はないし・・・」
「まあ、オーストラリアの警察を信じろよ」
「そうですね。あれだけの情報を与えたんですから、きっとあの男を逮捕して、取調べはしたでしょうからね」
 そこまで言うと、ハリーは急に笑い出した。
「君って、心配性なんだなあ。そんなに心配なら、あの店に行って、あの男を監視したら?」
「そうですね。家にいても不安で仕方ないから、それじゃあ行ってみます」
「えっ?本当に行くの?」
「ええ、だって今朝から落ち着かない気持ちだったけど、あなたにそう言われると、行ってみる気になりました」
「いや、僕は本気でそう言ったつもりじゃないんだけど」
「いえ、いいんです」
「馬鹿なまねは、しないだろうね?」
「馬鹿なまねって?」
「相手に監視するのを悟られて、危険な目にあうとか」
「そんなこと、しませんよ」
「じゃあ、気をつけて。何かあったら、また連絡してくれ」
 ハリーと話した後、理沙は「ジーンズ・オンリー」に出かけてみた。
  理沙が外からチラッと『ジーンズ・オンリー』の中を覗くと、ムハマドが客と話しているのが見えた。警察はまだムハマドを逮捕してはいないようだ。
 理沙は「ジーンズ・オンリー」には入らず、昨日行ったカフェに行き、紅茶にたっぷりのミルクと砂糖、そしてシナモンが入ったチャイを注文した。きのうはコーヒーを飲みすぎたので、胃の調子がおかしい。だから今日はチャイを注文したのだ。カップから流れるシナモンの香りを楽しみながらチャイを飲んでいると、急に慌しくムハマドが出てきて、ほとんど走るように、駅のほうに向かって行った。何事が起こったのかとあっけに取られていると、ムハマドが店を出て五分もしないうちに、店の前に黒い車が止まり、中から二人の男が出てくると、店に急ぎ足で入って行った。そしてすぐに二人の男は慌てて店から出て来ると、車に飛び乗り、走り去った。もしかしたら、あの二人の男は警察官で、ムハマドはそれに勘付いて逃げたのではないかと理沙は思った。ムハマドを追っていけばよかったと後悔した。しかしムハマドはリッチモンド駅のほうに向かっていたから、もしも電車を利用してどこかに行くつもりなら、電車はまだ来ていないかもしれない。まだムハマドは駅にいる可能性もあることに気づいて、理沙は慌ててテーブルにチャイの代金を置くやいなや、リッチモンド駅に向かって走り始めた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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