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私のソウルメイト (2)

自己紹介
 私の名前は、高橋元子。いや、もと子・ヒッキーと言った方がいいのかもしれない。メルボルンに住んでいる。オーストラリアの人は苗字に関してとても寛大で、旧姓を使っても誰も文句を言わない。だから、仕事上ではで高橋元子、プライベートには、もと子・ヒッキーと両方使っている。

 夫はアーロン•ヒッキーと言うオーストラリア人で、オーストラリアにある日本の企業の子会社に勤めている。結婚して20年。結婚したのは私が25歳のときで、私は今年45歳になる。アーロンは5歳年上の50歳である。アーロンは青い目に金髪だというと素敵な男性を思い浮かべられるかもしれないが、最近は金髪の髪の毛も薄くなりかけてきている。オーストラリアの男性の平均身長が178センチということだが、アーロンは183センチあり、足も長い。そのためよく友達から「お前はバレリーナにむいているよ」とからかわれることがある。

アーロンとの間に子供が一人いる。大学1年生の女の子だ。娘のダイアナは、父親似で背が高くほっそりしており、大きな目に筋の通った鼻をしており、親の私が言うのも変だが、かなりの美人だ。私はというと、40代の日本人としては背が高く160センチある。オーストラリアの女性の平均身長は164センチだろいうことだが、それより少し低いことになる。丸顔で自分では結構愛嬌のある顔だと思うのだが、並の顔だと言えばいいのだろうか。ダイアナの友達は、初めて私に会うと皆一様にびっくりする。「日本人の血が混じっているなんて全然思えない。」と言うのだが、それをよいほうにとってよいものか、悪いほうにとってよいものか、私としてはどう反応したらよいのか分からなくていつも困る。

 アーロンは日本に5年住んでいた。私が大学4年のとき、彼がうちの大学の大学祭に来て、道に迷ってうろうろしていたところを私が声をかけたのだ。その頃英文科の学生だった私は英語には少々自信があったのだ。それから親しくなって結婚した。アーロンは日本語が話せるのは話せるのだが、うちではほとんど英語で通す。私は私で日本語で話す。だから、うちでは日本語と英語が飛び交うので、ダイアナはバイリンガルになった。とはいえ、学校に行く前は私とすごす時間が長かったので日本語のほうが上手だったが、学校に行くようになって友達とすごす時間が長くなるにつれ、日本語の能力が衰え、それに反比例して、英語のほうが得意になってしまった。

 ある日小学2年生になったダイアナが学校から帰ってくると、何だか機嫌が悪く、私と目線を合わせるのを避ける様子がうかがえた。どうしてか問いただしたら、「お母さんがいつもコリングウッドっていってたからコリングウッドって言って皆に笑われたわ。」とぷんぷんしている。ダイアナのこの言葉に、私はプライドをひどく傷つけられた。このことがあってから私は自分の英語能力をアップさせねばと、一念発起。とはいえ、英語学校に通ったわけではなく、もっぱら新聞を材料に音読をしテープに吹き込み、それを聞きなおし、発音のわるいところを直し、分からない単語は調べて、一つ一つの記事を丁寧に読んでいくという方法をとった。語学の達人のある先生に言わせれば、語学上達の秘訣はお金をふんだんに使うことということだったが、私はお金をかけない事に徹した。他にも、ラジオのニュースをテープに吹き込み、シャドーイング、耳から聞いたことをすぐに口に出して言うという、同時通訳の訓練に使われる方法で練習したこともあった。聞きながら話すという二つの作業を同時にやることは大変だったがその成果はあり、今ではオーストラリア生まれかと聞かれることもある。
 
 私はダイアナが小さいときは、専業主婦として家事と育児に励んでいた。ダイアナが保育園に通っていたとき、ダイアナと仲の良かったエイミーのお母さん、京子と親しくなり、今でも大の仲良しである。京子は小柄でやせている。京子はイタリア系オーストラリア人と結婚しているので欧米人を夫に持つ日本女性として、自然共通の話題も多く、親しくなったのだ。京子は夫のロベルトがけちん坊だといつもこぼしている。ロベルトは自営で配管工をしていて稼ぎはいいはずなのに、ぎりぎりの生活費しか渡してくれないというのだ。だから子供が保育園に行っているときからずっと、スーパーでレジのバイトをしている。

 京子は懸賞金、賞品気狂いで、懸賞とつくものはありとあらゆるものに応募している。今まで、テレビ、DVDなどの電化製品から、1週間のゴールドコーストへの夫婦二人での旅行などをあてている。懸賞にあたったら、すぐにうちに電話してきて、自慢たらたらされるのは、私の嫉妬心も手伝って、少しへきへきさせられることもある。京子に比べて私はくじ運がすこぶる悪く、何に応募しても当たったためしがない。オーストラリアではタツロットというくじを買う人が多い。1から45までの好きな数字を6つ選んで、それが全部当たれば10万ドル(1千万円)から2000万ドル(20億円)ばかりの賞金があたるというものだ。もらえる賞金は、毎週何人当選者がいるかで変わってくる。賞金を山分けしなければならないので当選者が多ければ多いほど配当金は少なくなるが、当選者が一人もいないときはそのお金は次の週に持ち越される。だから何週間も当選者がいなかった後に当たれば2000万ドルにもなり得るわけだ。丸い透明な球に入った1から45の数字のついたピンポンボールのような玉が、球が回ることによってかき混ぜられ、管を通して一つずつ落ちてくる。毎週土曜日の夜の8時半にその様子がテレビで中継されるが、以前は私も欠かさずその番組を見ていたものだ。その管から落ちてきたボールに書いてある数字が自分の選んだ数字と合えばいいのだが、これがなかなか当たらない。ある人に言わせれば、タツロットで一等賞をとるより、雷にうたれる確率の方が高いという。私も毎週買っていたが、1年に一回4つくらいの数字が当たって、せいぜい20ドルくらいの賞金しかあたらないので、3年前から買うことをやめた。京子はそのタツロットにも、よく3等賞や4等賞に当たっていた。さずがに1等賞が当たったことはなかったが。だから、私は京子の運のよさをうらやんでいた。

 子供が小さいときは、お互いに都合が悪いときは保育園の送り迎えを協力してやった。今でも週に一回は一緒にお茶を飲んで、無駄話をしている。京子にはエミリーのほかに息子が一人いるのだが、彼女のおおらかとも言える子育ては時々私を唖然とさせる。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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