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私のソウルメイト(4)

 サイモンがまわしてきた通訳の仕事を通して、いろんな顧客ができたが、オーストラリアの会社社長のロビンと会ったのが、私の平凡だった人生を覆すことになった。ロビンと初めて会ったのは、ロビンの会社、BT商事が日本の会社と初めて取引することになり、その初めての会議の通訳を頼まれた時だった。サイモンから言われた住所を頼りに、ロビンの会社を訪れた私は、彼の会社の大きさにまず驚いた。500名の社員がメルボルンで働いているということだったが、街中の大きなビルに彼の会社があった。大理石でできたようなピカピカ光る床に高い天井は、まるで高級ホテルのような雰囲気だった。受付で彼の部屋は25階にあると聞き、エレベーターに乗ったが、25階まで着くのに1分もかからなかった。エレベーターを降りたところで、また受付があり、きれいな長い黒髪に青い目の若い女性が座っていた。
「社長にお会いしたいのですが、」
「お約束はおありです?」
「ええ、2時にお会いすることになっている高橋もとこと申します」と言うと、すぐに社長室に電話してくれた。それから1分もしないうちに、足のすらりと長いハイヒールに黒いスーツの社長秘書と思われる20代半ばの女性が現れ、
「こちらに、どうぞ」と社長室に案内してくれた。
「社長は今席をはずしておりますので、少々お待ちください」と一人社長室に残された。社長室は広々としており、一面が天井から床までがガラス張りになっていて、明るかった。そのガラス張りを通して街中の景色が見渡せた。緑の多いところはフラッグ・スタッフガーデン、まっすぐ伸びている電車道はエリザベス通りだろうとか思いながら窓から見える景色を眺めていると、背後でドアが開き、人が入ってくる気配がして、振り向いた。入ってきたのは55歳ぐらいの大柄な恰幅のよい紺色のスーツを着た男であった。その男は顔に慢心の笑みを浮かべて、大きな手を差し出し、「ロビンです」と言った。それを受けて、私も右手を出し、握手しながら「高橋もとこです」と言った後、バッグから名刺を取り出し、ロビンに渡した。その時感じた、ロビンの手の柔らかさと大きさそしてその暖かさは今でもはっきり覚えている。その後秘書の持ってきた紅茶を飲みながら、これからする仕事の打ち合わせをした。ロビンは「これはうちの会社の業務だけれど、参考のため読んでおいて」と言って、パンフレットの山を私の前に置いた。
「今度が日本の会社との初めての取引で、向こうは英語の話せる社員を連れてくるとは思うんだけど、こちらが日本語が分からなければ、こちらに不利だと思ってね、通訳を君に頼むことにしたんだよ」
「このたびはどんな取引をされる予定なんですか」
「工業用のロボットの輸入を考えているんだ」
「へえー。そんなものを輸入するんですか」
「日本の技術は優れているからね」とロビンは言った。
社長室を出て腕時計を見ると3時になっており、30分の打ち合わせの予定が、30分も超過したことを知った。
 その日は帰ってから、「BT商事」の業務内容のパンフレットに目を通した。パンフレットをベッドで読み終え、ベッドの傍のランプを消したが、どういうものか目がさえて眠れなかった。眠ろうとすると、今日会ったばかりのロビンの涼しい眼をした面長な顔が思い浮かんできた。隣で寝ているアーロンの鼾が聞こえ始めると、私の目はますますさえて、眠れなくなった。ロビンのことを思うと、心が温かくなるのを禁じえなかった。
 仕事まで一週間あった。その間私は工業用ロボットについての本を買い込み、読んでいった。分からない単語が出てきた時は日本語の訳をしらべ、学生だった時の様に、単語帳を作っていった。今では、インターネットで専門性の高い単語の訳も調べられるので、単語帳を作るのに昔ほど苦労しなくて済む。その単語帳に書いた単語を覚えるので忙しく、一週間はあっと言う間に過ぎていった。
 BT商事の通訳の仕事の日、私は言われたように、予定の時間に会議室に向かった。会議室に入ると、3人ほどBT側の社員と思われる人たちとロビンがいた。「グッドモーニング」と一人ひとりに挨拶をして握手をし、ロビンが社員を紹介してくれたが、名前と顔をすぐには覚えられず、席に着いた後、メモ用紙に今聞いたばかりの名前を書き込んでいった。10分ほどして廊下が騒がしくなったかと思うと、ドアが開き、オーストラリア人に率いられて日本人が二人入ってきた。今度の取引相手である。二人はBTの社員と名刺の交換をした後、席についた。そこで、私は自己紹介をして、その2人の名前を聞き出した。一人は佐藤、もう一人は中山と言う人だったが、その名前もメモに書き記した。
 その日の会議は、思ったよりスムーズにいき、日本のロボット製作所側はBTの商品に対する要望を詳しく聞いた後、取引価格も取引量、受け渡しの日などの予定まで話し合うことができた。勿論日本側はいったんこちらで出たことを日本にもって帰って、最終的な決定をするということだった。3時間に渡る会議で神経を使い、会議が終わった後は、頭が朦朧としてきた。その晩日本人社員の接待をするために、メルボルンの高級日本料理店に一緒に行かないかと誘われたが断った。その晩はその時のロビンの残念そうな顔が何度も頭の中に浮かんでは消えた。

著作権所有者:久保田満里子



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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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