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私のソウルメイト(37)

 アパートに着くと、京子が待ちかねたように、すぐに部屋に迎え入れてくれた。そのただ事ならぬ様子に、私はソファーに腰を下ろす前に何かあったのかと聞いた。
 すると、寝室に引っ込んだ京子は、手にA4サイズの大きな封筒を持って戻ってきて、黙って私の方に差し出した。私も黙って受け取って、中身を出してみた。見ると、A4大の写真が入っていた。それにはしわくちゃになったシーツのうえに寝ている一糸もまとわぬ京子が写っていた。京子はほっそりしていて余分な肉はついていないが、余り女らしいカーブはなく、中性的な感じだが、それでも、一目で情事のあとと分かる写真は、エロティックに見えた。
「一体、どういうこと?」と言う私に、京子は屈辱で怒りを抑えきれない声で
「ケビンの奴、私を脅迫してきたのよ」と答えた。
「ちょっと、事情が飲み込めないわ。もっと詳しく説明してくれない」
「今朝、郵便受けにこれが入っていたのよ。私個人に対する郵便物はみな私書箱にいくことになっているから、誰かがわざわざ私の郵便受けに入れたんだと分かったんだけど、封筒にこの写真と脅迫状が入っていたのよ。10万ドルよこせ、さもないとこの写真をお前の亭主に送りつけてやるっていう文面だったわ」
「この写真、いつ撮られたの?それにどうしてケビンがロベルトのことを知っているの?あなたぺらぺらあの男に自分のことしゃべったの?」
「まさか、そんなことする訳ないじゃない。きっと探偵かなんか使って調べたんじゃない?こんな写真いつ撮られたかさっぱり記憶にないんだけれど、ケビンとベッドインした日、私も酔っていたから、うつらうつらしたようだから、きっとその時撮られたんだと思うわ」
「で、10万ドル渡す気?」
「それを思案しているところなの。今の私には10万ドルくらい、なんとでもなるから」
私はきっぱりとした声で
「それは、やめなさいよ。こんな人、一回だけで脅迫をやめると思う?あなたがお金を出せると分かったら、一回ではすまないわよ」
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
京子は涙声になっていた。
私もどうこたえて言いか分からず、部屋の中を、檻に入れられた熊のように、ぐるぐる歩き始めた。
「ねえ、あなたはケビンについてどんなことを知っているの?」
「独身で銀行勤めで、そしてこのアパートの住民ってことくらい」
「向こうは随分あなたについて調べているようだから、こちらもケビンのことを調べたらどう?向こうだって、何か弱みを持っているかもしれないわ。もしかしたら、脅迫するのはあなたが初めてではないってことも考えられるわ」
「そうね。あんなハンサムな人が、私のようなおばさんに興味をもつなんてちょっと不思議だったんだけど、やっぱり罠だったのね」
「情報を多く持っているほうが勝ちよ」
いつもは京子に主導権を握られている私も、このときばかりは京子のために一肌ぬがなければいけない気持ちになっていた。
「向こうは、期限付きでお金を請求してきているの?」
「1週間後って言ってきているわ」
「それじゃあ、急がなくちゃ。イエローページ、貸して。探偵事務所を探してみるわ」
京子が手渡してくれたイエローページを見ると、この近くだけでも12軒ある。「どれがいいのか分からないけれど、最初に名前が載っている『メルボルン探偵事務所』と言うのに、電話してみようか?」と京子に聞くと、
「私も探偵事務所なんて今までお世話になったことないから、どれがいいのか分からないから、どこでもいいわ」と、元気なく答える。
「じゃあ、ここに電話してみましょ」と、私はすぐに自分の携帯を使って電話した。
「至急、人物調査をしていただきたいのですが、できますか?」
「そうですか。調べていただきたいのは、その人物の財政状況と交際相手、行動範囲などをお願いしたいのですが、遅くとも4日ぐらいで調査報告をいただきたいのですが、できます?経費はどのくらいになりますか?はあ、日当300ドルプラス実費ですね。それじゃあ、1000ドルくらい見積もっておけばいいわけですね。分かりました。それじゃあ、今からそちらに伺います」
私は、探偵事務所の所在地を聞いて、電話を切った。
「さあ、すぐ行って見ましょうよ」と、ぼんやりしている京子をせっついて、「メルボルン探偵事務所」を二人で訪ねていった。
探偵事務所はビルの2階にあり、よく見なければ見落としそうな小さな所だった。
「メルボルン探偵事務所」とガラスに書いてある字を確かめて、そのガラス戸を押して中に入った。私たちを迎えてくれたのは、背が低い、がっちりした感じの坊主頭をした40代くらいの白人の男だった。柔道の黒帯を持っていそうな雰囲気の男だった。
 男は、私たち二人を使い古した、余りきれいだとはいえないような接待用のソファーに座らせると、
「どんなご依頼でしょうか?」と単刀直入に聞いてきた。
「人物調査をお願いしたいのですが」
「調査してほしい人の名前は?」
「ケビン・スミスです」
「住所は?」
「3の500のフリンダーズ・レーン、メルボルンです」
「職業はご存知ですか?」
「ビクトリア銀行のファイナンシャル・アドバイサーだと聞いていますが、本当かどうか分かりません」
「どんなことをお知りになりたいのですか?」
「彼の財政状況、行動範囲、交際相手を主に調べてほしいのですが、そのほか奇妙だと思われる行動があったら報告してほしいのですが」
「つまり、尾行をしてほしいということですか?」
「そうです」
「尾行だと、一人ではできないので、二人分の日当を払っていただかなければいけませんが、それでもいいですか?」
「かまいません」
考えてみれば、まるで私が依頼人のように探偵事務所の職員と話しており、京子は私の傍で黙って私たちの会話を聞いているだけだった。借りてきた猫みたいに、おとなしい京子を見るのは、私にとって初めてだった。
「京子さん、何かほかにつけ加えること、ある?」と京子に向かって聞くと、
「それだけだと思うわ」と京子はこの事務所に入って初めて力なく答えた。
「それじゃあ、来週の月曜日には報告書をお送りします」と言われ、探偵事務所を後にした。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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