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私のソウルメイト(41)

病室の前にぼんやり立っていると、「ミセス・ヒッキー?」と声をかけられ、声のするほうを向くと白衣の40代の男が立っていた。アーロンの主治医のハーマン先生だとすぐに分かった。
「ハーマン先生ですか?」
「そうです」
「主人の容態はいかがでしょうか」
「余り、よくありませんね。心臓には4つの管がつながっているのですが、そのうち3つがつまっていました。今まで胸が苦しいとか何かの症状はでなかったのですか」
「いいえ」
「手術中も心臓が一時停止するなど、ひやひやしました。ここ2,3日は予断をゆるさない状態です。もし誰か知らせる人がいるなら、念のために知らせておいたほうがいいと思いますよ」
「と、言うことは、助からないということでしょうか?」
「今の状態では5分5分です」
目の前が真っ暗になって、立っていられなくなった。知らせなければいけない人?そうだ。ダイアナにアーロンの両親に、すぐ知らせなければ。
私が携帯電話を取り出して、ボタンを押していると、肩をたたかれた。
「病院では、携帯のご使用はお控えください。心電図などが乱れますから」
見ると、看護師だった。
「すみません。この近くに公衆電話がありますか?」
「あそこの受付のそばにありますよ」
「ありがとうございます」
私は公衆電話を見つけると、震える手でボタンを押した。まだ7時なので、朝寝坊のダイアナが起きているとは思えないが、起こさなければいけない。
何度かベルの音がなって、不機嫌そうなダイアナの声が聞こえた。
「こんなに朝早く、何?」
「パパがね、心筋梗塞で倒れて今病院にいるの。重態なので、すぐに来なさい」
「え、パパが?今から行くわ。どこの病院?セント・ポール病院ね。すぐ行くわ」
電話を切った後も、眠気がすっかりとれたようなダイアナの慌てた声が耳に残った。次に、アーロンの両親のうちに電話した。アーロンの両親は早起きでいつも6時には夫婦で散歩に出かけるといっていたからすぐにつながるはずだ。
案の定呼び鈴が3つも鳴らないうちに、アーロンの父親の声が聞こえた。
「ジョージ?私、もとこ。アーロンが心筋梗塞でセント・ポール病院に救急車で運ばれて、今手術が終わったところ。容態がよくないので、すぐに来てください」
「え?アーロンが重態だって。セント・ポール病院だね。すぐ行く」とすぐに電話を切った。
30分後にダイアナが駆けつけ、その10分後にアーロンの両親が来た。しかし、皆集まっても、どうすることもできず、私たちは心配そうに集中治療室の窓からベッドに横たわっているアーロンを眺めるだけだった。私はダイアナにもアーロンの両親にも、リズのことは話さなかった。アーロンが生きるか死ぬかの時に、アーロンの浮気などをぐちったって仕方がないと思ったからだ。10時になったころ、おなかも空いてきたので、皆で病院のカフェに行って、朝食を食べた。とはいえ、食欲はないので、皆小さなビスケットと紅茶を飲んだだけだった。皆これと言って話すこともなく、黙っていた。アーロンの母親は、目を瞑って下を向いている。きっとお祈りをしているのだろう。
その日の昼過ぎ、アーロンは、目を開けた。待合室で皆でぼんやり座っているところを看護師が呼びに来てくれて、私たちは急いで病室に向かった。アーロンは酸素マスクをされていて、呼吸も苦しそうで話はできなかったが、こちらの言うことは分かるようだった。私が手を握って「死んじゃだめよ」と言うと、私の手を握り返してきた。ダイアナも「パパ!」とだけ言って、涙声になってしまった。アーロンの父親も「アーロン、しっかりしろ。俺達よりも早く死ぬんじゃないぞ」と言うと、すこし頷いたように思えたが、錯覚だったのかもしれない。アーロンの母親は「頑張るのよ、アーロン」と言って、手を握った。
その後、少し小康状態になったと言われ、私たちは一旦うちに帰った。


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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