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ウルルの石 第一話 シェリー・イーストの話(1)

 皆さん。ウルルって聞いたことがありますか?そう、あの『世界の中心で愛を叫ぶ』で一躍有名になった、オーストラリアにある一枚岩です。一枚岩と言っても、高さ348メートル、周囲が9.4キロ。頂上は平たく、遠くから見ると台形の山に見えます。日本の山に比べると、あまり高くはないのですが、登るにはゆうに1時間はかかります。ウルルは見る時間によって、色が変わるのでも有名です。朝はピンク色ですが、夕日に映えたウルルは赤く茜色に輝くのです。そのウルルが真っ青な空を背景とし、限りなく広がる赤茶けた大地の上にそびえたっている姿は雄大としかいいようがありません。ウルルにはめったに雨が降らないのですが、2007年に大雨が降ったことがあります。その時のウルルは紫色で、へこんだ所には雨が滝のようになって流れ落ち、泣いているように見えました。そんな魅力に満ちたウルルですから、ウルルを見るために世界中から観光客が集まってきます。

ウルルに登る人がたくさんいますが、実はこの山は、オーストラリアの原住民、アボリジニの人たちにとっては神聖な山なのです。アボリジニの神話では、ウルルは神によって作られたもの、そして今でも先祖の霊が宿っている所なのです。ですから、アボリジニの人たちは観光客がウルルに登るのを苦々しく思っているのですが、アボリジニの人たちのそんな思いにお構いなく、好奇心旺盛な観光客はひっきりなしに登っています。今は登りやすいように鎖もついていますが、昔はあれほど登りやすくはなかったのです。昔、自転車を持って登ったたくましい日本人の若者がいたということを聞いたことがあります。また、カメラを落として、それを拾おうとして、結局滑り落ちて亡くなった方もいるそうです。1時間ぐらいで登れる山と、なめてかかってはいけません。今までに実に35名の人が、ウルルで命を落としているのです。

 神聖な山なのですから落書きなんてもってのほかですが、日本人の書いた落書きって多いんですよね。もう一生来られないかもしれないから、自分が来たという証拠を残して帰りたいと言う心理が落書きをさせてしまうのでしょうね。でも、オーストラリアの大学でアボリジニの文化について学んだ日本人留学生が怒っていました。他人の文化を尊重する精神に欠ける、同じ日本人として恥ずかしいって。落書きも勿論してはいけないことですが、ウルルから石を持って帰るのもよくないことなのです。でも、石を持って帰るなと言う忠告にも耳を貸さないで、ウルルの石を持って帰る人が時折います。そういった人たちから何年か後に石が送り返されてきています。それには決まって、その石を持って帰った後、不幸に見舞われたことが書かれています。そうです。ウルルの石を盗む人には、呪いがかかるのです。ウルルの石の呪いにかかった人たちのお話をしましょう。


第一話 シェリー・イーストの話

 私が夫のケリーとウルルに登ったのは2年前のことでした。ケリーも私もイギリスの小学校の教師で、学校の夏休みを利用して、バスでオーストラリアを一周するというツアーに参加したのですが、ウルルは一番印象に残りました。何しろ、ブリスベンからバスで出発して2日間は、行けども行けどもブッシュと呼ばれる潅木が生えている野原の中をまっすぐ通った道を走ったのですから。お店や休憩所なんて一軒もありません。舗装されていない所の土は赤茶けていました。誰かが鉄分が多いから、こんな色なんだと言っていましたが、本当かどうか知りません。2日間もバスに座っていると、お尻が痛くなってきます。途中で行きかう車も少なく、こんなところでバスがエンストでも起こしたら、大変なことになるだろうと、容易に想像できました。何しろかんかん照りで、どこにも木陰がないのですから、すぐに日干しになるに決まっています。幸いにも私たちはそういった目にあわなくてすみました。ウルルを初めて見たときの感動は今でも忘れられません。自然の中で人間がいかにちっぽけに見えるのか、あの時つくづく思いました。

ウルルには勿論登りましたよ。だって、イギリスからわざわざ行ったのですから、もうウルルに登るなんてチャンスは2度と訪れないでしょうからね。登る時、ちょっと後ろを振り向いたら、急な坂になっているのが見え、ちょっと足がすくみましたが、ケリーに励まされ、頂上まで登りました。登って本当によかったと思いました。見渡す限り、ブッシュと赤茶けた土。そして青い空。周りに大きな建物はなにもないのですから、吹きっさらしで風が強かったのを覚えています。近くにアリススプリングと呼ばれる町がありますが、その町以外は人工のものは何もないので、神が天地を創造されたときはこんな感じだったのかなと思いました。
ウルルを降りて、石を拾いました。小さな赤茶けた石です。ウルルに登った記念に持って帰ろうと、誰にも見つからないように背中に背負っていたリュックに入れました。まさかこの石の呪いで私に不幸が襲い掛かるとは、その時夢にも思いませんでした。
イギリスに戻って間もないことでした。私は妊娠していることに気づいて、大喜びしました。ケリーも喜んでくれると思ったのに、ケリーに妊娠の報告をすると案に相違して、余り嬉しくなさそうでした。

「どうしたの? うれしくないの?」私はケリーの態度に不審を感じました。
「嬉しいことは嬉しいけれど、タイミングが悪いよ。うちを買ったばかりで、ローンの支払いを始めたばかりだよ。君がこのまま仕事を続けてくれるなら、どうにかなるけれど、、」
と言うのです。私は自分が鍵っ子だったので、子供にはさびしい思いをさせたくありませんでした。だから、子供が小さい時にはうちで育児に専念したいことをケリーと婚約した時から伝えてありました。
「そんなことを言っても、今更おろすわけにはいかないわ」私はケリーの態度に腹が立ってきました。
それからです。私たち夫婦の関係がおかしくなったのは。ケリーは無口になり、私は私でそのケリーの態度に腹がたつというわけで、二人の間に冷たい風が吹き始めました。
私はそれでもおなかの中に育っていっている命のことを考えると幸せでした。妊娠5ヶ月に入ったら、少しおなかのふくらみが分かるようになりました。職場のほうに退職願いを出した方がいいと思いケリーに相談しましたが、「好きなようにしたら」と言う返事。「それじゃあ、勝手にさせてもらうわ」と売り言葉に買い言葉で、喧嘩した翌日3ヵ月後に退職する旨を書いた退職願を校長に渡したのです。

退職することが決まって2日後のことでした。ケリーが話があるというのです。何だか悪い予感がしました。
ケリーが何を言い出すのか緊張して耳を傾けている私に、ケリーは「離婚しないか」とぽつりと言いました。
「離婚? どうして? 私たちの子供が生まれてくるのよ。それなのにどうして離婚しなくっちゃいけないの」
「もう、僕は君と一緒に暮らしていく自信がなくなったんだよ」と、私の目を避けてケリーはうつむいて言いました。 
「君は自分のしたいことは僕の気持ちを無視してでも実行していかなければいけない人だと分かったんだ。僕は、もう君に合わせて生きていくのに疲れたんだよ」
「私があなたの気持ちを無視してやりたいことをやっているなんて、そんなこと初めて聞いたわ。私の気持ちを無視しているのはあなたのほうじゃないの」
私は怒り心頭して、ケリーを怒鳴りつけました。そしてベッドルームに駆け込んで、布団にもぐって泣きました。ケリーが、心配して見に来てくれることを期待していたのですが、その後聞いたのは、ケリーがバタンと戸を閉めてうちを出て行く音でした。その晩ケリーは帰って来ませんでした。私はその時初めて、ケリーとの関係が収拾のつかないところまできていることに気づきました。その夜、なかなか帰って来ないケリーの居所を探そうとケリーの手帳を見て、もっと驚いたことがありました。毎週のように、P.J.という文字が手帳に書かれていたのです。私の知っている限りでは、P.J.のイニシャルをもつ場所も人物も思い当たりませんでした。ケリーが帰ってきたところで問い詰める以外ありません。離婚となったら、このおなかの子はどうなるのだろうと思うと、その晩は眠れませんでした。
翌朝の10時ごろ、ばつの悪そうな様子でケリーが、どこからか戻ってきました。
「ケリー、夕べはどこにいたの?」
私はできるだけ冷静さを失わないようにつとめて聞きました。

次回に続く.....

著作権所有者・久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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