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六度の隔たり(6)

ローラは週刊誌を手にとって、イギリス王室の記事にまず目を通した。ローラはエリザベス女王を敬愛しており、週刊誌を買うのも、イギリスの王室一家の動向を知るためと言ってもいいくらいだ。客間の飾り棚には、王室のお祝い事があるたびに出る記念品の陶器を買い集めたものが、これ以上入りきらないというぐらいに並べられている。チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚を祝って売り出された二人の結婚式の写真が焼き付けられたマグカップ、エリザベス女王の即位50年を記念して売り出されたウエッジウッドの限定版の飾り皿など、所狭しとばかりに飾られている。息子のオリバーは、母親の王室贔屓をからかうのが好きである。オリバーが10歳の時だったと思うが、台所で夕ご飯を作っていたローラに向かって、居間から大声で、「ママ、ベティー・ウィンザーがテレビに出ているよ。早く、早く!」とローラを呼んだ事がある。「ベティー・ウィンザーって誰?」と聞くと、「ともかく、早くおいでよ!」とせかす。慌ててエプロンで手を拭きながら居間に行き、テレビを見るとエリザベス女王が映っていた。オリバーがエリザベス女王のことをベティーなんて平民の娘でも呼ぶように言った事に腹を立てて、ローラはつい大声で、「エリザベス女王をベティーなんていう人は一人もいないわよ」とオリバーを叱りつけた事があった。
ダイアナ妃は特にローラのお気に入りだった。だからダイアナ妃が亡くなった時は、何日も泣いた。そしてお葬式に涙を一滴も流さない王室の人たち、特にエリザベス女王に対して情のない人だと随分失望し憤慨もした。しかし、「エリザベス」と言う映画を見てエリザベス女王が伝統を守るために必死に戦ってきたことを理解すると、また女王贔屓にもどっていった。今週の週刊誌にはウイリアム皇子のスキャンダルが載っていた。軍隊のヘリコプターを無断で私用に使ったというのだ。「エリザベス女王が亡くなったら、王室はどうなるのかしら」と王室の将来を思いやって、ため息をついた。
午後4時を過ぎると、部屋が段々薄暗くなり始めた。イギリスの冬は日の出が午前9時、日の入りが4時半と日照時間が極端に短くなる。その代わりに夏になると白夜を思わせるかのように寝る時間になっても日が射していることがある。部屋の電気をつけた時、玄関の呼び鈴が鳴った。「こんな寒い日に、誰かしら?」日ごろほとんど不意の訪問客のいないローラは不審に思いながら、台所から薄暗い廊下に出て、廊下の突き当たりにあるドアを開けると、見知らぬ10歳くらいの少年が二人立っていた。
「何の用?」とローラが尋ねると、
「僕達、東小学校の生徒です。今度施設建て替えのための寄付金を集めることになったんです。このチョコレートを一つ1ポンドで買ってもらえませんか?」と言う。
「ちょっと待ってて」と言って台所に引き返したローラは、台所の棚にしまっているビスケットの缶を取り出し、その中に入れている小銭から1ポンドコインを取り出した。そのコインを少年の一人に渡すと、もう一人の少年が甘いばかりが取り得の、安っぽいチョコレートを一つ寄こした。コインを受け取ると少年たちは「ありがとう」と言って、隣の家に向かった。その日の訪問客はその少年たちだけで、また物静かな日常に戻り、ローラはいつものように、メロドラマを見て、一日が暮れた。
ケリーが帰ってきたのは午後6時を回っており、あたりはすっかり暗くなっていた。
夕食につくと、ローラは早速夏美から来た手紙の内容をケリーにかいつまんで話した。
「誰に送ったらいいと思う?私たちの知り合いで、ベンの居所をつかめるような人、誰かいないかしら?
お隣さんがヨークから来た人たちだけど、あの人たちは若いから無理ね。だれかほかに昔からヨークに住んでいる人いないかしら」
ローラが思案顔で言うと、
「ああ、そうだ。俺の甥のマーク、知っているだろ?あいつ、ヨークの銀行の支店長になったってクリスマスカードを去年よこしたんじゃなかったか?銀行だと、町の人を知る機会も多いだろうしな」
「そうね。それじゃあ、夏美に、そのベンと言う人は、どこに住んでいたのか。親や兄弟の名前はどういうのかも問い合わせたほうがいいわね」
「そうだな。そのほうが情報をつかみやすな」
「じゃあ、明日にでも手紙を書いて聞いてみるわ」
「向こうは急いでいるんじゃないか。急いでいるんだったら、今晩にでも電話してみろ」
「そうね。久しぶりに夏美の声も聞きたいし」
ということで、その晩ローラは夏美に電話した。
「夏美?私ローラよ。元気?」
ローラが電話をかけると、夏美の快活な声が返ってきた。
「まあ、ローラ、どこにいるの?」
「どこにって、勿論マンチェスターよ」
「まあ、イギリスから電話してくれているの?ありがとう。皆さん、お元気?」
「皆元気だわよ。ところで今日あなたの手紙が着いたんだけど、もう少しそのベンさんに関する情報はないの?たとえば、ご両親の名前とか、ご兄弟の名前とか」
「ああ、そうか。私では分からないから、今からジーナに聞いて、折り返し電話するわ」
「そう。そうしてちょうだい」
用件が済むとローラは慌てて電話を切った。
それから10分後、夏美から電話がかかってきた。
「今ジーナに聞いたら、ベンのお父さんの名前はアラン、お母さんの名前はジョアンナ。二人妹がいて、上の妹の名前は、エレン、下の妹の名前はクリスティンだって」
「そう、分かったわ」
「誰か、知っていそうな人、いるかしら?」
「どうなるか分からないけれど、ケリーの甥のマークが今ヨークにいるから、マークに手紙を送ってみようということになったの。ベンの親か兄弟がまだヨークにいれば、手がかりがつかめると思うのよ。ロンドンにいる友達もいるけれど、ロンドンは余りにも広すぎるから、人探しにはヨークから始めたほうがいいっていうことになったの」
「ありがとう、ローラ」
そこで、ローラがマークに宛てて依頼の手紙を書くことになった。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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