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六度の隔たり(13)

「ベン、
ぼくのことを覚えている?いつも学校の放課後、一緒にゲームセンターでたむろをしていたクリスだよ。今度会わないか?連絡待っている。
クリス・ウイリアムス」
ここで、初めてジェーンは自分がとんでもない思い違いをしていたことに気づいた。ベンの居所を知っている人が、こんなサイトを使って、連絡をしてくるはずはない。居所が分からないからこそ、このサイトで調べて連絡してくるのだ。クリスの文面から、クリスはベンの居所を知らないことが読み取れる。しかし、ここで調査を打ち切るのはなんだか惜しいような気がしてきた。このクリスに会って、手がかりになるようなことが聞き出せるかも知らないと気を取り直して、クリスに返事を出した。
「クリス
連絡、ありがとう。実は私はある人からベンを探して欲しいと頼まれて、彼の居所を探しているものです。私は一度もベンに会ってことがないので、少しでも手がかりになるようなことがあなたから聞き出せたらいいのですが、会って、ベンの話を聞けませんか?
デイビッド・リチャードソン」
夫の名前を使って、メールを書いた。ジェーンなんて書くと、女性が結婚相手でも探していると思われると迷惑だと考えたからだ。
翌日クリスから返答が来た。
「デイビッド
君がどうしてベンを探しているのか分からないので、君に会うことが躊躇される。詳しい事情を説明してくれないか?
クリス」
ジェーンは事情をどこまで話したらいいのか考えてしまったが、思いあぐねた挙句、次のようなメールを出した。
「クリス
実はベンが20歳の時、婚約したことのあるジーナと言う女性が病気で死ぬ前にベンに会いたいといっているのです。そのためベンの居所を知りたいのです。
デイビッド」
本当はただ手紙を渡すだけなのだが、そう言うと、余り協力してもらえないような気がして、少しドラマチックに話に尾びれをつけた。
「デイビッド
ジーナがベンを探しているなんて思ってもいませんでした。実は僕はベンが世界旅行から帰った時、一度町でばったり会って立ち話をしたきりなんです。だから、余りお役に立てるかどうかわかりませんが、会ってもいいですよ。そちらの都合のいい時間と場所を知らせてください。僕はもう退職して年金暮らしをしているので、時間はいくらでもありますから。
クリス」
ジェーンにとって都合のいい時間は週日の子供たちが学校に行き、デイビッドも法律事務所に行っている時だ。そこで、来週の月曜日の午前11時にヨーク教会の中で会おうということで、話がまとまった。ジェーンがクリスに目印のようなものを身につけてくれと頼んだら、緑色のセーターと、格子の模様の入ったハンチング帽をかぶってくると返事があった。メールをやり取りしている間、ジェーンはずっとデイビッドになりすましていた。
月曜日はジェーンは子供達を学校に送り届けた後、車をヨークの街の壁の囲いの外の駐車場に停めて、ヨーク行きのシャトルバスに乗って、ヨーク寺院に向かった。ヨーク寺院は高い建物がないヨークの街中で唯一高くそびえる建物だった。大きな黄土色のレンガでできた寺院の中に入ると、ヒーターがつけられているのか、少し暖かかった。着ていた白いダウン毛でできた暖かいジャケットを脱いで時間を見ると、約束の時間までまだ30分あった。寺院の中にも観光客がちらほら見られ、外国人の顔も見られた。観光客は皆パンフレットを片手に、寺院の中を眺めながら歩くので、地元の人間ではないことがすぐ分かる。ヨークの街では教会が一番分かりやすいからここで会おうと提案したのだが、時折聞こえるひそひそ声以外には物音がせず、ここでは話ができないのは明らかだった。11時に会えば昼食の時間までには少し間があるので、いつも込んでいるヨーク名物のベティのカフェも待たずに座れるだろうと考えながら長いすの片隅に腰を下ろし、入り口のほうを眺めて、クリスが現われるのを待った。30分待っている間に、教会に入ってきたのは、若いカップル一組と、老夫婦一組だった。皆、観光客のようだった。
緑色のセーターと、格子の模様の入ったハンチング帽をかぶった男が約束どおり11時きっかり現れ、教会の中をきょときょと眺めた。クリスだと一目で分かった。クリスは、メールの相手は男だと思っているのだから、ジェーンのほうから声をかけない限り、クリスはいつまでも待つことになるのだろうと思うと、ジェーンはいたずらをしている子供のような気持ちになった。
ジェーンは、クリスの前につかつかと近づいていって
「クリスさんでね。私デイビッドという名前でメールを出したジェーンです」と声をかけると、クリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうな顔に変わり
「いや、デイビッドという名前でメールをもらったので、てっきり男だと思っていたのですが、こんな美人の女性だったのですか」と言った。ジェーンは美人だといわれることには慣れているが、その言葉を聞くとこそぼったい気がいつもする。
「ここでは、話もできませんから、ベッティのカフェに行きませんか?」と言うと、クリスはすぐに賛成したので、二人して寺院を後にした。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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