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六度の隔たり(16)

~~ジェーンはその晩すぐにミアに経過報告をするために電話した。
ミアはキングスリンでの新しい生活に慣れるために忙殺されているらしく、ジェーンが
「やっとベンの居所を知っている人をみつけたわよ」と言っても
「ベン?ベンって誰?」と聞きかえすので、ジェーンはがっかりした。
「あなたに探してって頼まれた人よ」と言うと、
「ああ、あのベン」と、やっと思い出したようだ。
しかしベンがオーストラリアの刑務所に入っていると言うと、驚いて
「どうして?」と聞いてきた。
「詳しいことは、明日聞くことになっているから、また明日報告するわ」
「じゃあ、明日電話待ってるわ」
ジェーンはミアに報告することによって、少し頭を冷やすことができたが、それでもどうしてベンが殺人の罪を犯したのかと色々想像すると、目がさえて眠れなかった。
翌日は、夫のデイビッドに子供の世話は任せて、午後2時に約束通りショーンの家に行った。ショーンの家は一戸建ての平屋で、小さな前庭があった。通された客間は花模様の赤いカーペットが敷かれ、飾り棚やテーブルは、家族の写真や陶器の飾り物で溢れていた。昨日見かけなかったショーンの妻のグレースが紅茶とビスケットを出してくれた。
「ところで、きのう聞かなかったけど、どうしてベンの居所を知りたいんだ?」とショーンが聞いた。そういえば、昨日はクリスにはこちらの事情を話したが、ショーンにはまだ事情を説明していなかったことに気づいた。
「ジーナさんてご存知ですか?」
「ジーナ?ああ、ベンの婚約者だった子だね。ジーナを知っているの?」
「いえ、知らないんですが、ジーナさんの知り合いから、ベンさんの居所を見つけてジーナさんの手紙を渡して欲しいと頼まれたものですから」
「ジーナなんて懐かしいなあ。ジーナは今何しているの?」
「オーストラリアのメルボルンに住んでいるそうですよ。結婚して息子さんがいたけれど、ご主人にも息子さんにも先立たれて一人暮らしをしているそうです」
「そうか。ベンもジーナもオーストラリアにいたのかあ」とショーンは感慨深げに言った。
「ところで、ベンさんがどうしてオーストラリアに住むようになったか、そしてどうして殺人を犯してしまったのか、いきさつを話して頂けませんか?」
「ベンと俺が世界旅行にいったって言うのは、知っているだろ?」
「ええ」
「二人でジープを買って、ドーバー海峡をフェリーで渡って、ヨーロッパからトルコ、アフガニスタン、インド、パキスタン、ネパールと一年かけて旅行した後、インドの闇市でジープを売って、飛行機でイギリスに戻ってきたんだ。その道中で同じようにジープでボーイフレンドと一緒に旅行をしていたニーナというオーストラリア人の女性と会ったんだ。イギリスに戻ってきた後もベンはニーナと文通していたようだけど、ある日ニーナがボーイフレンドと別れた後ベンを訪ねてきたんだ。それで、ベンはニーナに誘われてオーストラリアに行っちゃったんだ。結局二人はオーストラリアで結婚してね。僕にも結婚式に出てくれと言うので、僕もその時オーストラリアに行ったんだ。二人の間に男の子と女の子が生まれて、仲良く暮らしていたんだけどね。あれは、3年前だったかなあ。ニーナが胃癌を宣告されてね。医者に行った時はもう末期癌なので手の施しようがないと医者にさじを投げられたそうなんだ。ニーナは病院で死にたくないというので、家でベンがニーナの看護をしていたんだ。医者から痛み止めをもらってニーナは飲んでいたらしいけれど、最初はその薬で痛みが治まっていたんだけれど段々その痛み止めが効かなくなって、ニーナがのた打ち回って苦しむようになったんだそうだ。それを傍らで見ていられなくなって、ある日ニーナの『殺して頂戴』という哀願にとうとう負けて、ニーナを殺してしまったんだ」
「それじゃあ、ベンさんは奥さんを安楽死させたという訳ですね」
「うん。そうなんだ。奴が刑務所から手紙をよこした時、信じられなかったよ。あいつに人が殺せるなんて」
ジェーンは、ベンが苦しんでいる妻のベッドの傍らに立って妻を殺す決意をする様子を想像すると、すさまじいものを感じた。
「で、どんなふうに奥さんを殺したんですか?」
「オーストラリアには安楽死を支持する会っていうのがあって、その先頭に立って安楽死の合法化を推進しているニツシュキと言う医者がいるんだそうだが、その医者に連絡を取って、安らかに死ねるという薬の調合をもらって、それを使ったんだそうだよ。だから奥さんの死に顔は安らかだった。これで、妻も安らかに眠れると言っていたよ」
ジェーンは夕べ見たニュースを思い出した。段々体の筋肉が使えなくなって死んでいく多発性硬化症にかかった女性が、もうこれ以上耐えられないという限界を感じる時が来たら、安楽死が許されているスイスに行って、安楽死をしたいが、スイスに行くためには夫の手助けがいる。自分が死んだ後、夫が殺人幇助罪で訴えられることがないようにして欲しいとキャンペーンを始めたニュースだった。オーストラリアもイギリスと同じように安楽死は合法化されていないようだ。
「それじゃあ、ベンさんに手紙を送るにはどうしたらいいのでしょう?」
「ここに、刑務所の住所を書いておきましたよ」と住所を書いた紙切れを渡してくれた。
もう聞くことはないように思えた。今日聞いたことをミアに電話で報告し、夏美にメールを書くことにしようと思いながら、ジェーンはショーンの家を辞した。ベンの居所が判ったからと言って、すっきりした気持ちになれなかった。ベンがもう死んでいたというほうが一層すっきりするだろう。安楽死をさせるほど、ベンは奥さんを愛していたに違いない。これも予想にしか過ぎないが、こう思わないと救いようがないように思えた。

参考文献:インターネットサイト:Euthanasia in Australia

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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