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カウラへの旅(5)

~~中島はポツリポツリと暴動のことを話し始めた。
「あれは、1944年の8月4日のことだった。戦争が終わる1年くらい前のことだ。日本人の戦争捕虜の数が増え続けていて、収容しきれなくなったから、下士官と兵を別々の所に収容することにしたとオーストラリア軍のほうから通達があったんだ。そのころの日本の軍隊では隊の結束が強かったから、下士官と兵が切り離されるということに強い抵抗を感じる人が多かったんだ。だから、その通達を受けて、この際できるだけオーストラリア軍に被害を与え、自決しようとする意見がでてきたんだよ」
「自決って言うと、自殺するって事?」
「まあ、そういうことだ」
「捕虜になっていた人たち、皆自決したいと思っていたの?」
「それは違うな。オーストラリアの収容所ではちゃんと食べさせてもらって飢えることもなかったし、毎日野球だ芝居だとのんびり平和に暮らしていたから、このまま平和に暮らしたいと思う人のほうが多かったよ」
「じゃあ、上官から命令を受けて暴動を起こしたの?」
「いや、この暴動には将校はかかわっていないんだよ」
「そういえば、収容所の見取り図を見たら、将校と下士官は別のところにいれられていたよね」
「そうなんだ。その頃下士官のキャンプには42の班があったのだが、ほとんどの人がこのままおとなしく別の収容所に行こうと思っていたんだ。でも、班長会議で下山という班長が暴動を起こそうといい始め、皆が黙っていると『貴様たち、それでも帝国軍人か。非国民は前に出ろ。おれが始末してやる。出撃できぬ奴は自分で身を始末しろ』と息巻いたのがきっかけになって、下山の意見に同調する者たちが出てきて暴動の話になったんだ」
「じゃあ、その下山っていう班長が暴動を扇動したの?」
「扇動したと言えば、扇動したことになるけれど、実際には、班の意見を聞いて投票をして決めようということになったんだ」
「へえ。民主的に決まったって訳なんですね」
「民主的といえば、民主的だけれど…。班長たちが班に戻ってトイレットペーパーの紙切れを配って、暴動に賛成ならO、反対ならXをつけて、無記名投票をしたんだ。その結果暴動に賛成が80パーセント、反対が20%で、暴動を決行することになったんだ」
「自決したくない人が多かったのに、どうして投票するとき暴動に賛成する人が多かったんですか?」
「実は、その結果を見て、驚いた仲間が多かったよ。皆賛成する者は少ないだろうと思っていたからね。でも、実際には反対の気持ちがあってもOをつけた人が多かったんだよ。僕も、その一人だったけれどね」
「どうして反対の気持ちがあったのに、Oをつけたんですか?」
少し考えてから、中島は答えた。
「建前と本音って、考えればね、建前はいさぎよく自決するべきで、本音は生きたいということだったんだ。あの時は建前が勝ってしまったんだね。だって、『貴様ら、それでも帝国軍人か』と言わて、多くの戦友が死んでいった中、生き残っていては、死んだ戦友たちに対して申し訳ないという気持ちが強くなってしまったんだ」
「ふうん。そうなんですか…」
良太にはその時の中島の気持ちを想像するには時間がかかりそうだった。
「それじゃあ、今のイスラム原理主義者のテロリストと同じみたいですね」
そう言うと、中島の顔が怒りで真っ赤になった。
「死んでいった仲間をテロリストと同じだと思うなんて、そんな暴言は許せん。今の日本の若者は戦争で亡くなった多くの人たちの犠牲のうえに、今の日本が成立しているのを忘れている。けしからん!」と、怒鳴りつけるように言った。
中島の剣幕に良太は恐れをなして、黙り込んだ。そして、心の中で、こんな考えの老人が多いから、中国や韓国と摩擦を起こすのだと、少しうんざりしてしまった。
著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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