百済の王子(1)
更新日: 2015-02-22
プロローグ
時は642年、今の朝鮮半島の西に位置し細長い領地を持つ国、百済で、話は始まる。
その頃、朝鮮半島は三国時代と呼ばれる時代で、北は高句麗、南西は百済、南東は新羅と三国に分かれていた。いや、三国と言うのは正確ではない。百済と新羅にはさまれた日本海に面するところには任那と伽耶と呼ばれる国があり、任那は倭国、つまり日本の支配下にあった。
百済の義慈王は次男の豊璋を自分の跡継ぎとして太子に立てていたのだが、クーデターが起こった。クーデターを起こしたのは長男の隆と彼の取り巻き連中だった。隆の母親は、義慈王の寵妃であったが身分が低く、王妃に豊璋が生まれたため太子になれなかったのだ。ところが義慈王が重病に陥ったとき、王妃があせって豊璋を王に即位させようとした。九死に一生を得て、病気が回復した王は、そのことを知って激怒して、 豊璋を廃太子して、隆を太子にした。この時豊璋の母は、 豊璋の妹4人と、母に加担した者達40名と共に島流しにされ、豊璋と豊璋の弟禅広を倭の国へ人質として追いやられてしまった。その頃の王国は権力をとるための陰謀がうずまいていたから、太子が地位を追われることは珍しいことではなかった。命をとられずにすんだということだけで、豊璋は幸運だったといえるかもしれない。
豊璋は、弟禅広、そして妻子とともに、倭国に発つ船に乗った。船が百済の港を離れ、百済の地が遠く水平線上に消えていくのを眺めながら、もう二度と百済の地を踏むことはないだろうと思うと、涙した。日本海の荒海に豊章はひどい船酔いにかかり、吐き気と頭痛に悩まされ、床に伏せる日が続き、船旅のつらさはこれからの自分の人生を思わせるようで、暗澹とした気持ちに陥れられた。
著作権所有者:久保田満里子