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百済の王子(14)

~~その日は、ともかく歩きづくめだった。休憩に草原で昼ごはんのむすびが与えられてそれをたべるとすぐに出発し、行進は続いた。毎日ジョギングなどはしていたが、一日中歩いたことがなかったので、足は棒のようになり、一足一足をただ惰性で足を出すという思いで歩いた。いつまで歩けば、 豊璋の家に着くのだろうかと、暮れかかった西の空を見て、セーラの側を歩いていた 豊璋の供の者に、
「 豊璋様のお屋敷はまだ遠いのですか?」と訊くと、
「もうすぐだ。あそこに山が見えるであろう?あの山の手前だ」
と、1キロくらい先に見える山を指差した。
 豊璋の屋敷に着いたのは、西日が山に沈んだ後だった。
 豊璋の屋敷は、額田王の屋敷を一回り大きくしたような広さでだった。玄関と思えるところに着くと、 豊璋の前を歩いていた供が
「 豊璋さまのお戻り」と大声を上げた。すると、中から慌てて女と男が出てきた。
男は、
「兄上、今おもどりですか?」と言うと、
「うん。今戻った。今日は額田王からおもしろい贈り物をもらった」と言って、後ろにいたセーラのほうを振り向いた。
その男は、 豊璋の目線を追ってセーラを見ると、驚いたように、
「これはまた、倭国の女ではございませぬな。どこの国の者でございます?」と聞いた。
「それが、オーストラリアという国から来たのだと申すのだが、お前、オーストラリアなる国、聞いたことがあるか?」
その男は、首を横に振って、
「ありませぬ」と答えた。
「そう言えば、そなたの名前を聞いていなかったな。名はなんと申す」と 豊璋は後ろにいるセーラを振り返って聞いた。初めて名前を聞かれて、セーラは少し戸惑った。
「セーラです」
「セーラ?変わった名じゃな」
「あなたは?」
 豊璋は、驚いた顔をした。
「わしの名を聞くとは、大胆な奴だな。余は百済の王子、扶余 豊璋じゃ。そして、これは弟の禅広だ。お前に色々聞きたいことがあるが、今日はもう疲れた。そなたも今晩は休め」と言って、供の者に
「この者を離れに泊めろ」と命じ、そのまま家に入ってしまった。
セーラは夜伽をさせられるかと心配したが、彼を迎えに出た女はどうやら彼の妻のようで、ほっとした。
その晩は、この国に来て、初めて布団らしきものに寝させてもらった。とはいえ、綿入れらしい布団は重いばかりで、余り暖かいとは思えなかったが、今までわらの上で転寝をする以外に睡眠が取れなかったセーラにはありがたく思われ、すぐに熟睡をした。
翌朝は、初めて椀に入ったご飯を食べさせてもらった。ご飯とはいえ、麦飯だ。
「コーヒーが飲みたい」「パンを食べたい」。そう思ったとたん、パパやママはどうしているだろうかと、急に両親が恋しくなって、涙ぐんだ。トムに対する未練は、この一ヶ月で完全に消えてしまっていた。
その翌日、 豊璋に呼ばれたのは昼過ぎだった。
 豊璋の部屋に行くと、板張りの部屋に 豊璋の座っているところには毛皮が敷かれていているだけで、たたみの部屋でないことにセーラは驚かされた。紙も貴重品の時代なのだから、まだ畳は作られていないらしい。セーラは板の間にじかに座らされ、このままではどのくらいの時間正座に耐えられるだろうかと心配になった。
「そなたの国のことをもっと知りたい。そなたの国のことをもっと教えてくれ。そなたの国の王はなんと言う名前だ」
「王様ですか。王様といえば、イギリスのエリザベス女王ということになりますね」
「イギリスのエリザベス女王?オーストラリアはイギリスの属国なのか?」
「とんでもない。オーストラリアに住んでいる人が、そう決めているだけで、みんなの意見が王様を廃止しようと思えば、いつでも廃止になります」
「皆と言うのは、貴族のことか?」
「いいえ。18歳以上のオーストラリア人は皆選挙権というのを与えられていて、投票で決まるのです」
「18歳以上の男子と言うことか?」
「いいえ、女性も同じ権利を与えられています」
 豊璋は信じられないと言う顔をした。それを見て今度はセーラのほうが百済の国はどうなっているのか、好奇心が沸いた。
「百済の国では女は政治にはかかわらないのですか?」
「当たり前のことだ。そなたは政治にかかわっていたのか?」
「私は余り政治には興味はありませんが、選挙はしましたよ。オーストラリアでは選挙をしないと罰金をとられますから」
「ふーん。それで、宰相や大臣は、そのエリザベス女王とかが決めるのか?」
「いいえ。今言ったように選挙でたくさんの票を取った人が政治にかかわります」
そう言っているうちに、セーラは足をしびらせて、足の痛みに耐えられなくなった。
「アイタタ」と足を崩して、足首をもみ始めたセーラを見て、
「そなた、正座もできないのか!」と 豊璋は、怒り始めた。
「オーストラリアでは、こんな座り方をしません」と言うと、
「どう座るのか?」と聞くので、
「椅子に座ります」と言って、椅子の絵を描いて見せた。
「これは、百済でもある。誰かに作らせよう」と言ってくれた。
翌日 豊璋の部屋に行くと、椅子が二つあった。座敷奥の椅子には 豊璋がすわっていて、セーラは 豊璋の椅子の真向かいに置かれた庭に近い椅子に座らせられた。 豊璋が自分の便宜を図ってくれてセーラは嬉しくなり、ニッコリして
「椅子を作ってくださってありがとうございます」とぺこんと頭を下げた。
 豊璋も笑顔になって
「初めてお前の笑い顔が見れたな」と言った。いかつい顔だと思っていた 豊璋が笑うと童顔になり、セーラは、初めて、「あんがい可愛い人なのだな」と、思った。
その日は、政治機構の説明で終わったが、民主主義と言うのを説明するのにセーラは苦労をした。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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