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百済の王子(26)

セーラは、 豊璋の呆然とした顔を見ると、深い失望感に襲われ、その場にじっといるのが耐えられなくなって、くびすを返すと、小走りで自分の部屋に駆け戻った。

部屋に戻ると動悸が激しい。顔も真っ赤にほてっている。なんて馬鹿なことを言ってしまったのだろうと後悔した。妻を失って嘆いている男に、愛の告白をするなんて、狂気の沙汰だと自分でも思った。これから 豊璋と顔を合わせる度に、お互いに気まずい思いをしなければいけない。それならいっそ、今まで通り、胸にひめていたほうがよかったと思うと、思わず唇をかんだ。

しばらくすると、セーラの部屋の戸を小さく叩く音が聞こえた。セーラはハッとして戸を開けたものかどうか、躊躇した。すると、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、「部屋に入ってもよいか」と、豊璋の声がした。

セーラはまだおさまらぬ胸の動悸をおさえながら、

「どうぞ、お入りください」と、 豊璋に負けないくらい、小さな声で答えた。

すると、板戸がするすると開いて、音もなく 豊璋が部屋に入ってきた。

そして、セーラの前に座ると、セーラの両手を取って、

「そなたが好いてくれているとは、夢にも思わなかった。そなたは、美しいし、賢い。我もそなたが好きではあったが、病身の妻が哀れで、そなたに言い寄る気にはなれなかった。それに、まさかそなたも我と同じ思いとは、しらなんだ」そう言うと、セーラを自分の胸に引き寄せ、しっかり抱きしめた。セーラはまさかこんな展開になるとは思ってもいなかったので、胸の動悸はますます高まるばかりだった。

その晩、二人はしとねを共にした。セーラは、 豊璋の力強い抱擁にきらめくような思いでその夜を過ごした。明け方の日が昇り始めたとき、 豊璋は、部屋を出て行った。 豊璋の妻が死んで間もないのに、こんなことになるのは不謹慎だと思い、 豊璋もセーラも、二人の関係をしばらく二人だけの秘め事にすることにしたのだ。家の者がおきだす前に、 豊璋は後ろ髪を引かれる思いで、セーラの部屋を去った。

 豊璋が部屋を出て行った後も、セーラは、 豊璋が自分と同じ気持ちだったことを知って、満ち足りた気持ちで、眠りに陥った。

翌日、目が覚めた時は、日はとっくの昔にあがっていた。おりんが、呼ばなければ、昼まで寝たいところであった。

おりんが、

「セーラ様、いつもお美しいと思っていましたが、今日は特にお顔が輝いて見えます」と言った時、セーラは自分の気持ちが見通されたようで、一瞬ドキッとした。

その日、午後になって、 豊璋に呼ばれた。いつもはいそいそと 豊璋の部屋に赴くのだが、今日は、どのように 豊璋の前で振舞えばいいのかと、緊張して、ゆっくりと 豊璋の部屋に向かった。いつものように、 豊璋の部屋の前で正座して、「セーラでございます」と挨拶をしたが、挨拶をしたあと、しばらく下を向いていると 豊璋が、

「どうしたのだ。部屋に入れ」と、言ったので、 豊璋の顔を見ると、 豊璋は笑顔を浮かべていた。その笑顔を見ると、普段のしゃちほこばった顔と随分差があり、セーラはに愛らしく感じられて、思わず微笑み返した。

「そなたもどうやら寝不足のようだが、我も寝不足で、困る」と、たいして困ってもいないような顔をして 豊璋が言うので、

「私も寝不足です。困ります」とセーラは甘えるように言った。

 豊璋は、セーラの耳元で、

「今夜もそなたの部屋に参るから、寝不足にならぬように、早く仮眠をとっておくが良い」と言うので、セーラは、

「そういう 豊璋様こそ、寝不足が続かないように、注意なさいませ」と言って、顔を赤らめた。

そうセーラが言うと、 豊璋はいつもの生真面目な顔に戻って、

「そう言えば、夕べ、そなたは千年先から来たと言ったが、千年先の百済の国は、どうなっているのか、知っているなら、教えてくれぬか」と言った。百済の王子として、豊璋が百済の国の将来を気にするのは無理もない事であった。

 

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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