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百済の王子(28)

第六章 白雉

軽王子が孝徳天皇として即位されて5年の月日がたった2月のある日のこと、 豊璋は、孝徳天皇に呼ばれた。豊璋は「難波宮に出かけてくる」と、セーラに言い残して、5日ばかり、屋敷を留守にした。5日間でも、待つ身のセーラには、長く感じられ、つい

「五日もお会いできないのですか?」と、不服げな顔になり、豊璋を苦笑させた。

 豊璋は、孝徳天皇になぜ自分を呼ばれたのか、不思議だった。天皇に拝謁すると、自分のほかには、法師が呼ばれていたので、ますます不思議に思った。すると、長門(今の山口県)の国司、草壁醜経(くさかべのしこぶ)が、天皇の前に、白い雉を持って来た。白い雉とは珍しいと、豊璋は思った。百済では白い雉なんて見たことがなかった。

すると、草壁醜経は、雉をうやうやしくかかげると、

「これは国造首(くにのみやっこのおびと)の同族の贄(にえ)が1月9日に麻山(おのやま)で手に入れたものでございます」と言って、その雉を天皇に献上した。

天皇は 豊璋に

「白い雉を見つけるとは、何かよきことのあることの前触れであろうか?」と尋ねられた。

 豊璋は、今まで読んだ本に出てきた白雉のことを思い出して、答えた。

「後漢の明帝の永平11年に、白雉があちこちに見られたと申します」

答えながら、色々な本を読んで、教養を身につけていたことが誇らしく感じられた。

天皇は、次に列席していた法師に、同じ質問をされた。

一人の法師は、

「白い雉がいるなどと、いままで聞いたことも見たこともありません。今まで罪に問われていたものを許して、民の心を喜ばせられたら、よろしいかと存じます」と、答えた。また、他の法師は、

「昔高麗の国で伽藍(がらん)を造ろうとして、国中適当な土地がないかと探し回ったところ、白い鹿がゆっくり歩いているところがあって、そこに伽藍を造って、白鹿園寺(びゃくろくおんじ)と呼び、仏法を守ったということです。また白雀が、ある寺の寺領で見つかったとき、皆良いことのあるしるしだと言って、喜んだということです。また大唐に使わされた使者が、死んだ三本足のカラスを持ち帰った時も、人々は『めでたいしるし』だといったということです。ですから白雉ともなれば、めでたいことがあるしるしにちがいありません」と、答えた。

もう一人の法師は、自分の知識を披露したくてうずうずしていたらしく、自分の番が回ってくると、待ってましたとばかりに、 とうとうと述べた。

「これは休祥と言って、珍しいものです。私の聞いたところによりますと、王者の徳が四方に行き渡るときに白雉が現れると言うことです。また王の祭儀が正しく行われ、宴会、衣服などに節度のあるときに現れるとも言われております。王が仁政を行っているときに現れるものでございます。周の成王(じょうおう)の時に越裳(おつじょう)氏が来て、白雉を奉って、『国の老人の言うことには、長らく大風雨もなく、海の波も荒れず3年になります。これは、きっと聖人が国の中におられるからだろう。なぜ、その聖人を拝朝しないのだというのです。そこで、三カ国の通訳を使って、はるばるやって来ました』と言ったということです。また晋の武帝の咸寧(かんねい)元年に松滋県(しょうじけん)に見られたことです。まさしく吉祥ですから、天下の罪をゆるされたらよろしいでしょう」

天皇は、皆の話を聞くと、満足げにうなづき、草壁醜経(くさかべのしこぶ)に、持って来た白雉を庭に放すように言われた。そして、この年を白雉(はくち)元年とすることを宣言された。それまで元号がなかったので、元号をつけるというのは、画期的なことであり、盛大な儀式が行われることになった。

本当は5日で屋敷に戻るつもりだった 豊璋は、天皇から、一週間後の2月15日に、白雉元年に改年する儀式を行うので、それに参列するように言われ、難波に足止めされた。セーラが待っていると思うと、気が気ではなかったが、天皇の招待を断るわけにはいかなかった。その儀式には豊璋の弟の禅広も招待され、 豊璋に加わった。

2月15日に、 豊璋と禅広が百済の礼服を来て、宮殿に行くと、門の外で杖を持った兵士たちが道の両側に並びたっていた。

官位のある者は、全て呼ばれたようで、左大臣、右大臣、その他の貴族が御門の前に4列に並んで待っているのが見えて、 壮大である。豊璋達もその列に加わった。粟田臣飯虫(あわたのおみいいむし)達4名のたくましい男達が雉を入れた輿(こし)をかつぎ、先払いをしながらゆっくり進んだ。その後を、左右大臣、その他の役人が続き、 豊璋と禅広がその後についた。 豊璋たちのあとには、高麗の侍医毛治(もうじ)、新羅の家庭教師らが、続いた。その行列は宮殿の中庭に進んだ。中庭で雉の籠の担ぎ手をかえて、御殿の前に進んだ。そして左右大臣が輿を天皇の前に置いた。天皇は中大兄皇子と一緒に雉を手にとって、ごらんになった。そのあと、中大兄皇子は退いて、天皇を再拝した。

左大臣の巨勢徳陀子(こせのおみとこだ)が、祝辞を述べた。

「公卿を代表して、お祝いを申し上げます。陛下が徳をもって、静かに平らかに天下を収められますので、白い雉が仏のまします西方のほうから現れました。なにとぞ、陛下は千秋万才にいたるまで、倭国全域をお納めください。公家、百官、そして百姓、皆忠義を尽くして、陛下におつかえします」と言って、再拝した。

天皇は、そのあと、「聖君が世に出て天下を治めるときに、天が祥瑞を示すと言う。昔、中国では、周の成王の世と、漢の明帝のときに白雉が現れた。わが国では、応神天皇の世に、白いカラスが宮殿に巣をつくり、仁徳天皇のときに竜馬が西に現れた。このように古くから今に至るまで、祥瑞が現れて有徳の君に応えることは、よくあることだ。いわゆる鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、白雉(びゃくち)、白烏(びゃくう)など、めでたいしるしが現れるのは、皆天地の作り出すものである。英明の君がこのような祥瑞を受けられるのはもっともなことであるが、朕(ちん)は卑しく、これを受けるに値しない。思うにこれはもっぱら、自分を助けてくれるお前達がそれぞれの丹誠をつくして制度をまもってくれることによってできたことである。だから、皆で、天下をますますさかえせてほしい」と、言われた。

白雉を献上したことによって、雉を襲う鷹を、長門(山口県)の地方に放すことを禁じられた。そして、この度手柄のあった者をほめ、位を授け、大きな褒美を与えられた。そして長門の国には三年間、布あるいは地方の産物を税金の一部として都に収める調役を免除すると、宣言された。

儀式が終わると、 豊璋は禅広と共に、屋敷に帰った。2週間ばかり留守にしたわけだが、屋敷が見えるところまで来ると、 豊璋は、もうすぐセーラの顔を見ることができるかと思う心が躍り、馬を駆けさせたい気持ちだった。しかし禅広の手前、そんなこともできず、セーラに会いたい気持ちを押さえつけるのに苦労をした。

屋敷近くになると、門の外で、セーラが待ち遠しげに、 豊璋の帰りを待っているのが見えた。その姿を見て、 豊璋に顔に笑みが浮かんだ。セーラも 豊璋の一行を認めると、走り寄って 豊璋を出迎えた。

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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