ケリーの母(1)
更新日: 2016-03-20
ここは、とある日本の有名大学の講堂。その中で、聴衆の拍手を受けているのは、ケリー・ホワイトだった。ケリーはオーストラリア人で、ノーベル物理学賞候補にものぼっているとうわさされる著名な物理学者である。日本の大学から以前にも講演の依頼が何回かあったのだが、どういうものか断り続け、今日が日本で行われた最初の講演だった。その講演が終わったのだ。聴衆の熱狂的な拍手から、ケリーは講演が成功したことを肌で感じた。そして聴衆の拍手に、何度も「サンキュー」と繰り返し、控え室に引っ込んだ。控え室には、ケリーを招待した理学部の教授、小池不二男が待っていた。
「先生、お疲れ様です。講演は大成功に終わりました。ありがとうございました。今から学長や理学部長と、お食事の席を用意していますから、車のほうにどうぞ」
と誘われ、ケリーは、そのまま料亭に向かった。
ケリー達が到着すると、料亭の50代と思える着物のよく似合ううりざね顔の美人の女将が、ケリーたちを迎えてくれた。
ケリーたちが案内された座敷には、すでに学長と理学部長は来ており、「やあ、よく来てくださいました」と、ケリーを床の間を背にした上座に座らせた。挨拶がすむと、すぐにお酒をすすめられた。学長も理学部長も、挨拶程度の英語はできたが、それ以上の会話になると、オーストラリアの大学にも留学したこともある小池教授の通訳が必要だった。
「先生は、隠れ蓑を作られているそうですね」学長が、興味深そうに、聞いた。
「僕も、子供の頃、透明人間の話に興味を持っていましたが、実際にそんなことができるなんて思ってもいませんでしたなあ。僕は経済学が専門だから、物理のことはさっぱりわかりませんが、どんなにすれば透明人間になれるんですか」
小池が学長の言葉を英語に訳して言ってくれると、ケリーはニコニコしながら、答えた。
「まあ、ご存知のように、物が見えるというのは、物質に光が当たって、その反射したものが、網膜に当たって見えると認知するわけですが、光があたっても、屈折させることによって、その物質の周りを回って見えないようにすることが出来るのですが、屈折させるために、どんな物質を使えばいいか見つけるのに、やっと実験で成功することができたのです」
「それは、すごいですね」と、理学部の学長が驚嘆の声をあげた。
「まあ、まだ実用化するためには、4,5年はかかりますが」
それから、お酒が入って、学長は、最初の肩苦しい雰囲気がとれると、饒舌になっていった。
「いやあ。小池先生の話では、世界各国で講演をしていらっしゃるのに、日本の大学の講演だけは、今まで断り続けられたというのは、何かわけがあるのですか?」
そう聞かれて、ケリーは、少しどぎまぎしたようだ。
「確かに、日本には来たくなかったのですが、65歳にもなると、やっとわだかまりが解けた感じで、今回の講演のお話を受けて、思い切ってきました」
「わだかまり?先生、何か、日本人にいやなことでもされたんですか?」
一瞬皆の間で緊張感が漂い始め、学長の質問に、接待役の日本人三人は、次に出てくるケリーの言葉に、耳をそばだてた。。
「ええ、ありました」
「そんな失礼な奴がいたんですか?けしからんなあ。昔は確かに外人に対して、日本人も偏見を持っている人が多かったかもしれませんが、今でもそんな奴がいるなんて、信じられないなあ」と、学長が言った。
「確かに昔の話です。僕がまだ4歳のときでしたから」
「4歳のときの経験が、今まで焼きついていたということは、よっぽど嫌な経験だったんでしょうなあ。失礼かもしれませんが、どんな経験があったのか、聞かせてもらえませんか」
学長は、興味津々と言う顔つきで、ケリーの答えを促した。
「実は、僕の母親は日本人なんです」
「えっ!」
三人が同時に驚きの声をあげた。ケリーは東洋人の血が混じっているとは思えないくらい、アングロサクソン系の顔をしている。高い鼻。まつげの長い大きな目。肌は白く、ほりの深い顔。髪が黒いところだけが、東洋人の血を引いているためかもしれないが、それでも、にわかには信じがたいくらい、ケリーには東洋人の面影はなかった。
「その母ももう亡くなってしまいましたが…」
「そうですか」
「講演が終わったので、明日にでも母のふるさとに行ってみようと思っているんです」
「お母様のふるさとは、どちらですか?」
「広島県に呉というところがあるのですが、ご存知ですか?」
すると、今までずっと聞き手だった理学部長の井上が、勢い込んで言った。
「知っていますよ。僕も実は呉の出身なんです。もしかしたら、先生のお父様は、オーストラリアの進駐軍の兵士ではなかったのですか?第二次大戦が終わった1945年から平和条約が結ばれる1951年までは呉にはオーストラリア兵がたくさんいましたからね」
「ええ、そうなんです。母は、いわゆる戦争花嫁だったんですよ」
「へえ」
三人は意外そうな顔をして、ケリーの顔をまじまじと見た。それには、戦争花嫁のような無教養な女に、このような優秀な息子ができたのが不思議だという思いがあるのを、ケリーは感じ取っていた。この三人だけでなく、皆戦争花嫁と言うと、パンパンと呼ばれる売春婦を連想する人が余りにも多い。だから、皆戦争花嫁とレッテルを貼り付けられるのを恐れているのだ。ケリーの母親も、自分の過去を聞かれることを極端に嫌った。
「戦争花嫁と言うと、皆売春婦だったと勘違いしている人がいるようですが、母は女学校も卒業して、実家も呉では知られた家の出だったんですよ」
ケリーは苦笑いをしながら、言った。
「そうなんですか。それじゃあ、先生は日本で生まれられたんですか?」
「ええ。進駐軍は、日本人の女性と付き合うことを禁じていたそうですが、両親は恋に落ちて、結婚したんだそうです。母は少し英語ができたので、その時進駐軍の事務員として雇われていたんだそうです。それで、2歳のとき、父の国、オーストラリアに移ったんです」
「そうですかあ。戦争が終わってまもなく敵国だったところに住むというのは、先生のお母さんも先生も大変な思いをされたんでしょうなあ」と、学長が感慨深げに言った。
「僕は小さかったので、余り記憶にないのですが、ともかく当時はオーストラリア政府は白豪主義の政策を打ち出していましたから、日本人との結婚を認めないので、日本人の妻をオーストラリアに連れて帰るのは大変だったということですよ。でも、僕はオーストラリアでは、母親が日本人だからと言って、個人的にはいじめられたという経験はないんですよ。それよりも、日本人の母に対する差別は、今でも許せない気持ちなのです」
「どんなことが、あったんですか?」
初対面の人に話すには、余りにもつらい経験なのか、ケリーはそのまま口をつぐんでしまった。そして、ただ黙って自分で杯に酒を注ぎ、ぐいぐいと飲み始めた。
ケリーが黙ったことで、座敷がしらけてきた。もてなし役の三人も、どんな会話を続けていいものかとまどったようだ。、
「先生、今日は、お疲れでしょう。ありがとうございました。今晩はゆっくり休んでください」と、学長が言い、ケリーの歓迎慰労会をお開きにした。
注:この物語はフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子