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サンドラの誓い(2)

その男の顔を今見たのである。サンドラは胸の動悸が高くなるのを感じた。その男の息は酒臭かった。また、酒に酔って、道路に飛び出たのだろうか。

「この男のために、アランは死んだ。こんな男のために!」

サンドラは消そうとしても何度も湧き上がってくる憎しみを抑え切れなかった。

「サンドラ、モニターをつけたので、治療の開始をお願いします」と看護師に言われるまで、体が動かなかった。

看護師の、「サンドラ、どうかしたの?」と言う言葉に、我に返った。

いつものように、患者の意識を確かめることから始めた。

救急隊員から聞いて、その男の名前がブライアンだいうことを知った。

「ブライアン、聞こえますか?聞こえたら、私の手を強く握ってください」

ブライアンの手がわずかに動いた。

「まだ意識はあるようだわ」

そう言うと、サンドラは、あの忌まわしい事故のことを頭からふるい落とすために、治療に集中した。心臓マッサージをし、点滴をすると、モニターの波動が正常に動き始めた。これで、容態は安定するだろう。しかし、頭を強く打っているということだから、MRIをとる必要があるだろう。

「まだ予断を許さないから、集中治療室に移して、様子をみましょう」と、サンドラは、通常の数値にもどった脈を示すモニターの画面に目をむけながら看護師に指示をし、ブライアンの血のついた白衣を脱ぎ、治療室をでた。疲れた。どうしてこんな男のために治療をしなければならないかと思うと、腹立たしかった。治療室を出ると、すぐに後ろから声をかけられた。

「あのう、父の容態はどうでしょう?」

振り向くと、30歳代の女が立っていた。その女は、やせ細って、見るからに貧しそうな身なりをしていた。

「お父さんって、ブライアンさんのこと?」

「はい、そうです」

その女は遠慮がちに答えた。

「一応容態は安定しましたが、まだ脳の状態を検査することができないので、脳がどのくらい損傷しているかは、分かりません」

この女があの男の娘かと思うと、答える声もぶっきらぼうになっていた。

「そうですか。父に会えるでしょうか?」

「今から集中治療室に移して様子を見なれければいけませんから、まだ面会の許可をおろすわけにはいきません。治療室の窓越しには、見えますが」

「そうですか?」

女は不安そうであった。

「集中治療室は3階の奥にありますから、そちらのほうに行ってください」

そう言うと、サンドラはさっさとまた仮眠をとるために部屋に戻っていった。

サンドラは30分もしないうちに、また起こされた。

「サンドラ。ブライアンの容態が悪化しました。すぐに来てください」

サンドラは、今度は睡眠をさまたげられたことに対する苛立ちよりも、あんな男をどうして自分が救わなければいけないのかと思うと、腹が立ってきた。

集中治療室にかけつけると、さっき見た女が、窓にしがみついて必死の形相をしている。女はサンドラを見ると、

「先生。父を助けてください。酒飲みでぐうたらな父ですが、それでも私にとっては大切な父なんです」

この言葉を聞いたとき、突然アランを失ったときの悲しみが、雷に打たれたようにサンドラの全身を貫いた。この女にとって、こんなぐうたらな男でも、大切な人なのだ。この男が死ぬと、私がアランを失ったときと同じ悲しみをこの女は味わなければいけなくなる。そう思うと、今まで抱いていたブライアンに対する憎しみがすうっと消えて、この男を助けなければいけないと言う気持ちが湧き上がってきた。アランだって、人の命を救うことに使命を感じていたのだ。アランの命が、ブライアンの命より価値があると思うと、誰が言えよう。そう思い直すと、サンドラは、女に向かってやさしく言った。

「大丈夫です。きっと、助けますよ」

それから、サンドラは、AEDを充電し、ブライアンの心臓に当てた。ブライアンの胸がはねあがったが、まだ心臓は動かない。もう一度AEDを当てた。すると、心臓がまた鼓動を打ち始めた。サンドラの額は緊張で汗びっしょりになっていた。

治療室の外に出ると、女がサンドラに、

「先生、ありがとうございました」と言った。その目は涙で光っていた。

その涙を見て、サンドラは、ブライアンに対する憎しみの塊が心の中でとけて、ブライアンを助けなければいけないという決意を新たにした。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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