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前世療法(3)

 第二章        正二

 正二は、キムとの待ち合わせ場所に足を速めた。7時に会う約束が、すでに7時を2分過ぎてしまっている。携帯に連絡したほうがいいかなとも思ったが、待ち合わせ場所まで5分もかからないからと、連絡をしなかった。すると、携帯が鳴り響き、立ち止まって携帯を見るとキムからのSMSだった。ちらっと携帯を見た後、返事をしないで、小走りになって、待ち合わせ場所のパブに向かったた。パブのドアを開けると、たくさんの人でにぎわっていて、中全体は見通せない。人をかき分け中に入ると、ふてくされた顔で座っているキムを見つけた。

「やあ、遅れてごめん」と、キムの隣の席に腰を下ろすと、

「なによ。メッセージ、送ったのに。返事もくれないなんて、」とむくれ顔のキムに、

「もう近くに来ていたから、メッセージに答えるよりも、少しでも早く来た方がいいと思ったんだよ」と、正二は答えた。

「それよりもさ、おなかがすいたよ。早く、何か食べようよ」と言うと、キムも少し気を取り直したようで、「うん」と頷いた。

 正二は、キムと付き合い始めて1年になる。キムは、歯医者の受付嬢をしていて、正二が毎年行く歯医者で初めて会った。第一印象はかわいい子だなと思った。茶色い柔らかな髪が肩までかかり、彼女が話すたびにゆさゆさ揺れたのが、心に残った。そして、その一週間後、キムとばったりショッピングセンターであった。その時、キムの方からお茶に誘って来た。こんなに積極的に女の子からアプローチされるのは初めてだったので、正二は戸惑ったが、すぐに同意して、キムが案内してくれたカフェに入った。

「私、キムって言うの。よろしくね」と言って握手のために手を差し出した。その手を握って正二も

「僕は正二、よろしく」と答えた。

 それから、お互いの仕事や趣味のことを話した。二人ともロックが好きだと分かって、次にロックコンサートに一緒に行く約束をした。それをかわぎりに、映画、ハイキングとデートを重ねて、二人が他人でなくなったのは、その正二の誕生日の日だった。その日、二人でコンサートに行き、コンサートの興奮が冷めかねて、正二がキムを自分の住処に誘ったのだ。こういうこともあるかもしれないという期待感は正二にあったので、出かける前に部屋の掃除をしておいた。いつもなら起きたらそのままにして、くしゃくしゃに丸められたままの掛布団もきれいにベッドメイキングをして、シーツもやり替えておいた。

 その半年後にキムの方から結婚しないかと話があった。キムは、正二がなかなかプロポーズをしないので、業を煮やしたようである。正二は、積極的に彼女と絶対結婚したいという願望はわかなかったが、他に心を動かされる女性もいなかったので、「うん、いいよ」と、深く考えもせずに答えた。正二のその返事を待っていたかのように、キムは「善は急げと言うから、今から婚約指輪を買いに行きましょうよ」とねだり、その日すぐにキムに引っ張られて宝石店に行った。

 店員が見せてくれる指輪を見ては、キムは「あら、これ素敵!」「これも、いいわね」「いや、こっちのほうが私に似合うかしら?」とさんざん迷ったあげく、千ドルの小さいけれど他の指輪よりは一段とキラキラ輝いて見えるダイヤモンドを買った。キムの指のサイズに合わせるために一週間必要だと言われ、手付金を払い1週間後に受け取りに行くことになった。店から出た後ルンルン気分のキムから、

「婚約のパーティーはどうする?」と聞かれ、その時になって正二は初めて結婚の重みに気づいた。これから、婚約のパーティーをしなくてはいけないし、結婚式もしなければいけない。子供が生まれたら、自分の給料だけで暮らしていかなくなるかもしれない。突然これから起こるであろう現実に目覚めさせられた気がして、正二はキムほど結婚に対して心が浮かれる気にはなれなかった。

 そして、その晩、正二は奇妙な夢を見た。

 

著作権所有者:久保田満里子

 

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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