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おもとさん世界を駆け巡る(13)

その後、フレデリックは旅行の準備で大わらわであった。幕府にとって第二次遣欧使節団となる横浜鎖港使節団は、1864年2月6日に横浜をフランスの軍艦モンジュで出発した。正使池田長発をはじめフレデリックを含めて総勢35名であった。モンジュが出航する日、おもとさんは二人の子供を連れて、フレデリックの見送りをした。おもとさんの後ろには、新たに乳母として雇われたお福がいた。3人目の子供の出産に備えるために、お福にいてもらったほうがいいと、おもとさんが判断したからだ。
船上の使節団は、フレデリック以外、袴に羽織、そしてちょんまげ姿で二本差しであった。ちょび髭のフレデリックはまるでシャーロックホームズのようにベレー帽をななめにかぶり、フロックを着ていた。
その日は、おもとさんは、船が点となりやがて、その点も全く見えなくなるまで、港に立って、夫を見送った。
フレデリックはこまめにおもとさんに手紙を寄こした。
「おもと、
我々は2月14日に無事に上海についた。ここに一週間滞在して、ここからはフランス郵船イズスプで香港に行く予定だ。船が大きく揺れ、船酔いで悩まされるものが多いが、幸いにも私は元気だ。子供たちは元気か」

いつも短い手紙ではあったが、おもとさんや子供達に対する愛情に満ちた手紙だった。
「香港から、フランス郵船アルファに乗り換えて、ベトナムやシンガポールによって、やっとセイロン島についた。ここまで来るのに1か月以上もかかった。セイロン島からはフランス郵船エリーマントに乗り換えて、インド洋、紅海を通ってスエズに向かうことになっている。インド洋は波が高そうだ。また船酔いに悩まされる者が出るだろう。こう船の旅が長くては、地上に降りても、頭がふらふらして困る。お前が一緒に来られなかったのは残念だったが、これほどまでに船が揺れると思わなかった。来なくて正解だったよ」
「やっとスエズについた。今日は3月25日。横浜を出てから1か月半もたっている。ここからは少し汽車の旅になる。紅海と地中海を結びつけるスエズ運河と言うものを作る工事が1859年から始まっているものの、完成するまでには、後5年はかかりそうだということだ。これから汽車でエジプトのカイロに行って、ピラミッドやスフィンクスという遺跡を見に行くことになっている」
「4月4日にピラミッドとスフィンクスを見に行って、スフィンクスの前で皆で記念写真を撮った。スフィンクスはファラオのように頭巾をかぶった人間の顔をしているのだが、体はライオンのような物で、王を守るものとして作られたらしいということだ。スフィンクスの前では、私たちは小さな蟻のように見える。お前にも、巨大なスフィンクスを見せたやりかったよ。これからエジプトのアレキサンドリアに汽車で出て、そこからまたフランス郵船ペリルで、マルセイユに行くことになっている。」
「4月20日。今日マルセイユを汽車で出発してパリに向かう。目的地のパリまでは、もう一息だ」
「4月21日。やっとパリに到着した。横浜を出て75日かかった。船酔いで青い顔をした人もいたが、皆無事にパリに到着することができた。パリではナポレオン3世に拝謁して、外務大臣のドルーアン・ド・リュイスと横浜鎖港の交渉をすることになっている。忙しくなるので、当分手紙は出せないだろう」
おもとさんは、フレデリックから頻繁に来る手紙のおかげで、フレデリック達が何をしているか知ることができた。


著作権所有者:久保田満里子

 

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2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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