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おもとさん世界を駆け巡る(23)

 おもとさんの舞台での緊張感が段々薄れていき、やっと少し慣れてきたかなと思った6月18日に、グレート・ドラゴン一座は次の興行地、ニューヨークに向かった。パナマ経由で蒸気船ゴールデン・シティでアメリカの東海岸に出て、ニューヨークについたのは、7月11日のことであった。ニューヨークは、1861年から始まった南北戦争が1865年に終わったあと、エンターテイメントの中心として、栄えていた。とはいえ、その頃はまだニューヨークを象徴する自由の女神も、エンパイヤステートビルもない時代であった。ニューヨークでの興行では、レッド・ドラゴン一座と名前を変えて、7月15日からブロードウェイにある小さな劇場で、興行をした。ニューヨークには2週間もいなかったが、次の興行地、イギリスのリバプールに向かう前、タンケネルは、新聞記者11名を招いて、日本食でもてなすパーティーをした。おもとさんは、パーティーの食事の準備を任されて、パーティーの前は、その準備で大わらわであった。何しろ日本食を作ろうにも食材も調味料も限られている。肉だけは日本より手に入りやすかったので、すきやきにご飯と言ったメニューしかできなかったが、招待された記者たちは、満足したようであった。ホストのタンケネルに、記者たちが矢継ぎ早に質問をする。
「今までどこで公演したのですか?」
「サンフランシスコで公演しました」
「次はどこに行くんですか?」
「イギリスに行く予定です」
そんなありふれた質問の合間に、おもとさんに話しかける記者もいた。
「この料理は奥さんが作ったものですか?」
「そうです」
「いつも、こんな料理を食べるんですか?」
「とんでもないです。ホテルで出るものを食べます」
「お子さんはいらっしゃいますか?」
「ええ、三人います」
「お子さんは日本に置いて来たんですか?」
「いいえ。子供たちと離れたくなかったので、子供も連れて来ています」
「そうですか」
「私たち夫婦にとって、子供は宝物です」と、おもとさんがタンケネルのほうを見ると、タンケネルがおもとさんの後をとって、
「僕たちは子供をとっても愛しています」と、微笑んだ。
記者たちは皆、二人の夫婦仲の良さを、ほほえましく思った。
次の日に「ニューヨーク・コマーシャル・アドヴァタイザー」と言う新聞にこのパーティーのことが報じられた。そこには、
「子供たちを愛しているというおもとさんは、典型的な東洋の美人で、特に彼女の目、白い歯、そして黒くしっとりした髪は、印象的だった。また、おもとさんは英語も堪能であった」とおもとさんのことをべた褒めしていた。その記事の内容をタンケネルに聞いたおもとさんは、嬉しいような恥ずかしいような変な気分に陥った。
その晩子供たちの寝顔を見ながら、おもとさんは、「そうよ。この子たちが私の宝物」とつぶやいていた。

著作権所有者:くぼた

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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