人探し(11)
更新日: 2019-02-03
「ところで、僕の今の家族の写真を持ってきたのですが、いれば差し上げますけど」と正雄が言うと、「いや、結構です。結局、あなたの両親は僕の実の両親ではないと分かったのですから、写真をもらっても意味がありません」と藤沢は答えた。だから正雄は出しかけた写真をまたコートのポケットに押し込んだ。その後は、
「それでは、1月2日午後2時にXXホテルのラウンジでお会いしましょう」と言って、別れた。
年末は峰子の大掃除の手伝いで、正雄は忙しく過ごした。いつもは愚痴をこぼしながらいやいや手伝うのだが、峰子が自分の実の母親でないことが分かった今、愚痴をこぼさずに素直に峰子の言うことを聞いたので、ドンドン掃除がはかどった。
「正雄、何かあったの?」と峰子に聞かれた時は、どっきりした。
「何にもないよ。でも、どうして、そんなこと聞くの?」
「だって、いつもはなんだかんだと口実をつけて家を出て行って、掃除の手伝いなんてしてくれたことなかったじゃない。それが、今年はやけに素直に手伝ってくれるから、気味が悪いわ。お金をくれって言われても、ありませんからね」
「そんなこと言わないよ」正雄は苦笑いしながら答えた。
確かに今年は切れた電球を変えたり、家具を動かうのを手伝ったり、換気扇の汚れを落としたりと、自分でも活躍したなと満足だった。
大みそかには家族でテレビの前に座ってそばを食べながら、紅白歌合戦を見た。もう正雄が子供の時からの慣例である。
毎年のように、アイドルの歌を史郎は「くだらん」と言いながら、テレビを見ている。峰子は若い頃ビートルズのファンだったと言うだけに、ロックやポップが好きだ。正雄は、ロックやポップは好きなのだが、演歌にだけは耐えられない。恨みつらみ未練と言った歌詞が肌に合わないのだ。ポップをけなす父は演歌が好きだ。家族それぞれが音楽の好みが違い、お互い嫌いな音楽にケチをつけながら見た。NHKで、除夜の鐘をきいた後は、ベッドにもぐりこんだ。そして、メルボルンで過ごしたお正月のことを思い出していた。
正雄は一度だけメルボルンでお正月を過ごしたことがある。その時は結婚していたから、妻のキャサリンと、メルボルンの中心地を流れるヤラ川の川岸で打ち上げられる花火を見た。12時が過ぎて新年が訪れると、オーストラリアの慣例にのっとって、キャサリンとキスをした後は、辺りにいる見知らぬ人々とキスを交わした。そして新年の行事が終わる。なんともあっけない感じだった。何年オーストラリアに住んでも、日本のお正月が好きなのは、自分は日本人だからなんだと思った。
寝る前に、藤沢と母親はどんな正月を迎えているのだろうと、まだ会っていない生みの母のことを思った。
著作権所有者:久保田満里子
元旦は晴れていた。青い空にピリピリと肌を刺すような冷たい空気。気持ちの良い朝だった。
いつものように家族でお屠蘇を飲み、お雑煮を食べ、おせち料理に舌鼓を打って、ゴロゴロしながら、正月番組を見て過ごした。その晩、正雄は峰子に「明日、五十嵐に会うことになっているんだ」と告げた。峰子は、「あらそう。五十嵐君、確か結婚して、お子さんが二人いるんだったよね。子供さんにお年玉を上げるのを忘れないでね」と言われ、お年玉の観念がすっぽり抜けていた自分に苦笑いした。そんな正雄を見て、峰子は「はい」と言って、小さなお年玉と書いてある袋を2枚くれた。
「どうせ、お年玉袋を買っていないんでしょ」と言われ、
「いやあ、悪い悪い。さすがお袋だなあ。用意万全だな」と峰子をほめると
「何言ってるのよ」と峰子に肩を叩かれた。
峰子はてっきり正雄が五十嵐の家に行くのだと思っているらしい。正雄は峰子の誤解を訂正しようとは思わなかった。ホテルのラウンジで会うと言えば、どうしてそんなところで会うのかと詮索されそうだったからだ。
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