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墓巡り(6)

僕の趣味だった墓巡りは、僕が孤児院にいる間中断された。歩いて行ける距離に墓場がなかったからだ。実際、孤児院にいた時は、学校と孤児院との行き帰りだけで、どこかに出かけることもなかった。
 16歳の時、僕は、児童相談所の方で紹介された里親候補の50歳代の夫婦に会った。
児童相談所の人の話では、その夫婦には3人子供がいたけれど、皆独立して家を出たので奥さんの方が、親のいない子供の面倒を見たいと言い出したのだそうだ。奥さんは子育てに専念していたためか、子供に巣立たれた後、ちょっとしたうつ病になっていたらしい。奥さんはそのうつ病克服のために、また子育てに専念したいと思ったと言うことだ。奥さんのうつ状態を心配していたご主人は、すぐに奥さんの願いを実行に移すことにしたらしい。僕がその里親に会った時、二人とも僕の生い立ちを熱心に聞いた。僕が淡々と話す話を「そう、それは大変だったわな」とか「かわいそうに」とか相槌を入れ、僕の惨めだった人生に同情してくれた。二人とも熱心なクリスチャンだそうだ。僕もこの夫婦の所で暮らしていけたらいいなと思ったが、幸いにもこの夫婦、スージーとアランに気に入られて、僕は二人に引き取られて、孤児院を出た。孤児院での唯一の友達チャールズと別れるのは少し寂しかったが、これからもSNSで連絡を取り合う約束をして、別れた。お別れにと言って、チャールズが僕が気に入っていた彼の描いたコアラの親子の絵をくれた。
 僕は里親の家の一室を自分の部屋として使わせてもらうことになったのが、とても嬉しかった。孤児院では二人部屋だったから。早速僕の部屋の壁にチャールズからもらった絵をかけた。朝は6時半に起床、夜は10時に就寝と言うのは、孤児院にいた時と変わらなかったが、毎日学校であった出来事などをスージーは聞きたがり、僕の話に熱心に耳を傾けてくれた。僕の学校での成績にも気を配り、僕がテストの結果で悪い点を取ろうものなら、間違えたところをいちいち説明して僕が理解するまで机から解放してくれなかった。それまで、僕のすることにそんなに関心を持ってくれる大人はいなかったので、少々煩わしいと感じることもあったが、僕は優しいスージーが大好きだった。僕は学校でいじめられることはなくなった。多分その頃が僕の人生の中で一番幸せな時だったかもしれない。優しい里親だったが、一度だけ里親を怒らせえたことがある。ある日悪友からもらったマリファナを興味本位で吸ったところ、トイレに監視カメラをつけていた学校側にばれて、一時停学をくらったことがある。その時は、アランは猛烈に怒り、部屋に1週間閉じ込められて、反省を促された。
 スージーとアランに引き取られた僕は毎週日曜日には教会に連れて行かれた。讃美歌を歌ったり、牧師さんの説教を聞いたり、祈りの仕方を習ったりと、最初僕は戸惑ったけれど、段々教会に行くのが楽しみになった。それは僕がキリスト教に感銘を受けたからではない。それよりも、教会の裏庭に広がる墓場に興味をもったからだ。
 僕は日曜日の礼拝が終わると、墓場に行って、一つ一つの墓標を見て回った。そして、いつか不思議な声を聞いた時のように、また誰かの声が聞こえてこないかと耳を澄ませた。初めて行った時は、何も聞こえなかった。シーンと静まり返った墓は、昼間でも少し不気味な感じがした。
 僕が3回目にその墓場を訪れて、無縁仏の墓の前に立った時、声が聞こえて来た。その声は「こうじちゃん、会いたかったわ」と言った。か細い感じの女の人の声だった。僕は、この無縁仏が、僕の名前を知っているのに驚いて、一瞬腰が抜けそうになった。
「あなたは、誰なんです?あなたは僕を知っているんですか」と後ずさりしながら、心の中で聞いた。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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