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一(はじめ)と一子(いちこ)(3)

空母飛龍の乗組員だった一は、零戦パイロットとして1941年12月8日にハワイの真珠湾攻撃に参加した。一にとって初めての実戦だった。日頃の訓練の成果を出し切るのだと張り切ってでかけたが、一に与えられた役目はハワイのオアフ島で、飛龍の上空を警戒することだった。3機編成の2番機に乗って、飛龍の警護に当たり、無事にその役目を終えることができた。この真珠湾攻撃がアメリカ軍に与えた損害は多大だった。18隻の軍艦や巡洋艦を撃沈、あるいは損傷させ、347機の航空機を損傷すると言う戦果を得て、日本への帰途に就いた飛龍だったが、寄り道を余儀なくされた。太平洋の真ん中にあるアメリカの領土クエーク島を攻略しようとした日本の攻略部隊が撃退されため、その援護にあたる要請を受けたのだ。ここでは、一は攻撃隊に加えられ、初めて敵と戦うのかと思うと身が引き締まった。しかし一が空中戦に参加することもなく、日本軍が勝った。自分の出る幕がなかったのは、少し残念だったが、これからも実戦を体験する機会はまだまだあると自分に言い聞かせた。飛龍は無事12月29日に日本本土に戻ってきた。直接アメリカの軍艦の攻撃に参加したわけではないけれど、重大な戦いに参加して、敵を圧勝したと言う興奮は、一のみならず、その報を伝え聞いた一子の心の中で当分の間おさまらなかった。一子は一が真珠湾攻撃に参加したことが、とても誇らしかった。飛龍が日本に帰って来たあと、一時休暇をもらって故郷に帰って来た一に会った時、一子は「一さん。ご戦勝、おめでとうございます」と頭を下げたが、一は笑顔で頷いたが、その顔はまぶしいくらい輝いていた。1942年の正月は豊島家では、喜びに包まれ、家族で行く別府の温泉巡りには一子も参加させてもらった。まだ一子は正式に結婚したわけではなかったが、一子の心の中では一はすでに夫としての位置を占めていた。この時中国に出征していた一の兄豊島徳繁も一時帰国していたため、この旅行には参加した。この時血の池地獄で、グループ写真を撮ったが、皆心から笑顔を浮かべていた。一子は、これからの一との将来を思いやって、嬉しさで胸がいっぱいだった。だから、これが戦争の緊張から一時的に解放された最後の休暇になろうとは、一も一子も夢にも思わなかった。それは、まだこの時点では、日本が勝つと信じていたのだ。
一は休暇が終わるとまた戦地に向かった。1942年1月23日、一を乗せた飛龍はインドネシアのアンポン島への攻撃に出動した。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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