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キラーウイルス(3)

政府幹部との会議の後、対策本部に戻った山中を待っていたのは、全国の自治体から、新たな感染者数の報告だった。今朝の会議で感染者数1589人と報告したのだが、それから210人増えて、1799人になっている。新たな感染者の数は昨日と比べて2倍に増えている。
 その日の午後からは感染症が専門の医師たちを集めて、これからどんな政策をとっていけばよいか政府に対するアドバイスを検討したが、国境封鎖や学校封鎖も自宅隔離の呼びかけもあまり感染拡大防止にはあまり役立っているとは思えない今、皆都市封鎖をすべきだとの意見が一致した。山中自身も都市封鎖をしない限り、感染は拡大するだろうと危惧している。しかし、政府は国境封鎖や学校封鎖にはすぐに実行にうつしたのに、都市封鎖には慎重である。山中は政府の高官との会議で今までも何度も進言したが、都市封鎖をした場合の経済的打撃を恐れている政府は、なかなか提言を受け入れてはくれない。その朝の会議でも閣僚に都市封鎖にするように説得に務めたが、結局医療体制が崩壊するようだったら、75歳以上の高齢者の治療を後回しにすることしか決められなかった。専門医たちの意見と政治家との意見の仲介に神経をすり減らした山中が帰宅した時は午後11時を過ぎていた。
 帰宅すると、いつもは寝てしまっている妻のあやこが、起きて山中を待っていた。緊張した面持ちのあやこの顔を見れば、何か悪い事態が起こったことが分かる。
「あなた、義母さんの入居している老人ホームから、介護士の一人がイタリア旅行をして帰って来た後、キラー・ウイルスに感染したことが分かったって、連絡があったわ」
山中は、自分が恐れていたことが起こったことを知り、愕然とした。
「それで、入居者全員、検査をすると言うことだわ」
「そうか。いつ結果が分かるんだ?」
「検査しなければいけない人が多いので、結果が分かるのは明日か明後日だと言うことだわ。ねえ、それよりも加奈の採用内定が取り消されたわ。どうしよう」
 長女の加奈はこの4月から大手観光事業所に就職が内定していた。アメリカ留学の経験のある加奈は自分の得意な英語を生かせる仕事が見つかったと言って喜んでいたのだが、喜んだ分だけ失望が大きいのは目に見えている。しかし、だからと言って山中にはどうする手立ても思いつかない。
「そうか。どうしようと聞かれても…」と言うと、あやこは不満そうに、「あなたったら、いつも仕事のことしか考えないんだから。少しは家族のことも考えてください」と言う。それを聞くと疲れもあって山中は爆発してしまった。
「今人類の生死がかかっている問題に直面しているんだ。それじゃなくても問題が多くて頭がパンクしそうなんだ。加奈の就職だって、このキラーウイルスが撲滅されれば、また採用される可能性は高い。今はキラーウイルス撲滅のために全力を尽くすことしかないんだ」とあやこを怒鳴りつけた。自分だって心の余裕があれば、加奈の相談にも乗ってやりたい。あやこの言うのももっともだと少し後ろめたさを感じながらも、山中はさっさとベッドに潜り込んだ。気持ちが高ぶっていて、すぐには寝付けなかった。母親の検査が陰性と出ればいいのだがと思いながら、今は運を天に任せるしかない自分の無力さを感じるのはつらかった。

これはフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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