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船旅(22)

 リンダとマイクも気分が悪いからといって、夕食に出て来なくなっていた。光江はあちらこちらで咳き込む人が出て来たなとは思っていたが、夏のオーストラリアから真冬の日本に来たのだから風邪を引くのは仕方ないのかなと思った。
 そんな時、船長からアナウンスがあった。
 「皆さん、明日日本に入港の予定ですが、最近船内で風邪の症状を持つ人が多くなってきました。コロナ感染の疑いがあります。つきましては、日本に入港するにあたって、検疫官が乗船して、皆さんがコロナに感染していないか検査をすると言っています。その対策として、食堂でのお食事は中止し、皆さんの部屋に食べ物を運びますから、自分の部屋から出ないでください。また風邪の症状のある方と同室の方は、できるだけ風邪の症状のある方との接触は避けてください」
 船長のアナウンスを聞いた後、光江はぎょっとなって、ニールの方を見た。ニールの咳は止まっていない。まさか彼はコロナ感染にかかるなんて考えられない。コロナの話は中国本土の話で、香港で流行しているとは思えない。きっとニールはただの風邪を引いただけよ、と光江は自分に言い聞かせた。
 オーストラリアを出る時は、中国の武漢で、風邪に似た症状の出る変な病気が流行し始めたと言うことは聞いたが、中国の話として、光江はたいして注意も払っていなかった。旅をしている途中、新聞を読むわけでもなかったので、世界でどんなことが起こっているか、全く関心がなかった。
 同室で接触をするなと言われても困る。狭い客室なので、逃げ場がない。唯一逃げられるところはバルコニーだが、冬の風が吹きつける今、バルコニーに出ると、それこそ風邪を引く。明日日本に入港して上陸するまでの我慢だ。光江はそう自分に言い聞かせた。ニールも光江に気を使って、咳き込むたびに、バルコニーに出たが、これがニールの症状を悪化させ、結局その晩はニールはベッドから起き上がれらくなっていた。光江は不安な気持ちを抱えて、椅子を二つ並べて、椅子の上に横になったが、まんじりともせず過ごし、朝の光が部屋に差し込んできたとき、起き上がってバルコニーに出てみると、船は横浜港に近づいているのが見えた。遠くに何やら、人が立っているのが見えた。よく見ると、港の周りに  白い防護服に身を固めた人達の一団と10台くらいの救急車を見た。何だか物々しい様子に不安がつのった。ニールの方を見ると、呼吸が苦しそうだった。荒い息の間に、「リーがどうなっているか、心配だ。様子を見てきてくれ」と光江に言った。こんな病気になった状態になっても、自分に課せられた仕事のことを忘れないなんて、なんて責任感の強い人だろうと光江は感心するよりも呆れてしまった。部屋から出るなと言われているのに部屋を出ることはためらわれたが、ニールの頼みを聞き捨てにはできない。迷った挙句、部屋のドアを少し開けて、廊下の様子を見た。すると、「部屋から出ないでください」と、厳しい声が聞こえた。廊下で、スタッフが見張りをしていたらしい。厳しい顔の船員に、「あの、厨房の人の安否が知りたいのですが、教えてもらえませんか?」と聞くと、
「この船はもうすぐ横浜港に着きます。部屋は出ないでください。安否が気になる人の名前を教えてもらえれば、後で、部屋に連絡します」と言う。
「リチャードと言う人です。よろしくお願いします」と光江は答え、ドアの外に出していた顔を引っ込めて、ドアを閉めた。そして、光江は心配そうに、ニールを見やった。

ちょさk

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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