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足立良子さんの物語(1)

読者の皆様へ
今までフィクションをGO豪メルボルンに掲載させていただいていましたが、今回は、私の友人、足立良子さんの物語を何回かに渡って掲載させていただきます。
メルボルン在住50年近くにもなる足立さんのお話は、50年前のメルボルンの様子も分かり、興味深いです。是非お楽しみください。

足立良子さんの物語

  2021年の元旦、私は元ジャーナリストの足立良子さんを訪ねて行った。コロナ感染が怖くて出歩くのを控えていた私にとって、久しぶりのお出かけだった。ご主人がパーキンソン氏病で体が不自由なため老人ホームに入っていると聞いていたので、子供のいない良子さんはきっと寂しいお正月を送っているだろうと思い、稲荷寿司と煮物を持って行った。良子さんと初めて会ったのは1980年代だから、40年間顔見知りだったことになるが、彼女の家に行くのは初めてだった。そして、この訪問で、初めて彼女から彼女の身の上話を聞いた。
 オーストラリアに住むきっかけになったのは、何かと問う私に、良子さんはクスクス笑いながら答えてくれた。
「最初は本当はオーストラリアに永住する気、なかったのよね」
「じゃあ、どうして永住する気になったの?」
「1973年にオーストラリアに来たんだけれど、その前の1年間、ニュージーランドの高校で日本語を教えたの。ニュージーランドから日本に帰る途中ちょっとオーストラリア国内を旅行してみようと思って寄ったら、なんて美しく興味深い国なんだろう、こんな素敵な国に住んでみたいと思ったの。そこで、永住することに決めたの」
「ニュージーランドには、どうして行ったの?」
「私、慶應義塾大学卒業後は、国際芸術家センターという、日本と世界各国との芸術・文化交流を図る非営利団体に半分ボランティアみたいな形で働いたの。その時、色んな世界中の芸術家と知り合うチャンスがあって、その中に有名なニュージーランド人のチェロリストがいたの。彼女はオークランド大学の音楽部の学部長もしていた人で、随分私のことを気に入ってくれて、ニュージーランドに招待してくれたのよ。その人が私に声を掛けてくれた頃は、芸術家のお世話をする仕事は、余りにも安月給だったのでやめて、ドイツの新聞の特派員の秘書をしていたんだけれど、その仕事をやめてニュージーランドに行ったの」
「特派員の秘書って、具体的にどんな仕事をしていたの?」
「今でもはっきり覚えているのは、三島由紀夫の割腹自殺。あの時は日本中にすごい衝撃が走って、私は町の人たちの声を聞いて来いと言われて、街頭インタビューをしたのよ。そうそう、そのほかに覚えているのは、その頃のロールスロイスのこと。1970年代の初め頃、日本にロールスロイスが何台あったか知っている?」
「さあ、10台くらいかしら」
「2台よ」
「2台?」
「そう、天皇家と外務省に1台ずつしかなかったのよ」
なかなか興味深い話である。確か、1980年代頃に世界で一番ロールスロイスを持っている人が多く住んでいる地域は、メルボルンのツーラックだと聞いたことがある。

ちょsh

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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