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足立良子さんの物語(2)

「ニュージーランドに行って、何したの?」と言う私の質問に対して、良子さんから次のような答えが戻って来た。
「その頃、ニュージーランドにも日本人がほとんど住んでいなかったわ。日本語を教えている学校もそれまでなかったんだけれど、ある学校で日本語を教えることになって募集があったの。その時、応募したのは私だけだったので、仕事もすぐに決まり、1年の契約だったから1年その学校に勤めて、日本に帰る途中にオーストラリアに寄ったわけ」
「オーストラリアでは、永住ビザはすぐにとれたの?」
 オーストラリアに永住したいと思っても、オーストラリア政府がそんなに簡単に永住ビザを発行してくれない。難民としてオーストラリアの領土にたどり着いても、ビザが下りなくて何年も収容所に入れられて、うつ病になり、自殺する人もいるくらいだ。今もタミール人の家族が、オーストラリアの永住権取得のために連邦政府に嘆願しているが、連邦政府は永住権を与えることを拒否している。この夫婦の娘二人はオーストラリアで生まれており、この家族の住んでいたクイーンズランド州の田舎町、ビロエラのコミュニティー全体がこの家族を支持しているし、国会議員にも支持する人が多いにも関わらずである。
 実は1975年に観光ビザでメルボルンに来た私も、永住権を取得するために8か月すったもんだしたあげく、ビザが切れる直前に特赦が出て、永住権をもらえた経験があり、ビザ取得の経緯は興味のある所だった。
「ニュージーランドのワーキングビザを持っていたから、余り問題はなかったわ。でも面接の時、移民局の役人に『オーストラリアで、何をするつもりなんだ』と聞かれ、『日本語を教えたいんです』と答えたの。そしたら、役人はそんな答えは聞き飽きたという顔をしているので、焦ったわ。その時友人に自分を売り込め、と言われたことを思い出して、彼女の教えてくれた面接成功策を試してみたの。つまり、『オーストラリアは美しい国ですから…』と、友人に教わった通り、オーストラリアのことをほめたんだけれども、これも駄目。そこで、本心を言った方がいいと思い直して、『私はなんの専門家でもありませんが、そんな普通の日本人の見たオーストラリアを日本の人に知ってもらいたいと思っているんです』と言ったの。そうしたらお役人は『それはいいね』と同意してくれて、面接に成功。こうして永住権をもらったの」
永住権を獲得するために苦労する人が多い中、良子さんのオーストラリアでの出だしはスムーズだったと言える。

著作権所有者:久保田満里子


 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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