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藤沢美恵子さん(仮名)の物語(5)

1990年3月、1年の予定で、パリに旅立った。パリは私の憧れの街だった。フランス料理が好きだったし、若い頃はおしゃれが好きでフランス人のセンスに憧れていた。初めてシャンゼリゼ大通りを歩いた時は、想像以上の美しさに見とれてしまった、どんな裏道路を歩いてもセンス溢れていた。心もうきうきして、レストラン経営時代のストレスから一遍に解放された。
 フランス語は分からなかったけれど、パリは英語が少し通じた。最初2星の安ホテルに3泊し、その間に仕事と住処を見つけた。すごいでしょ?
 仕事は、色んなレストランに飛び込んでウエイトレスの仕事を探したけれど、パリは規制が厳しく労働ビザがなかったので見つからなかった。しかし親切な人がパリを少し離れれば、雇ってくれるところがあるかもしれないと教えてくれた。そこでパリ郊外のレストランを探したところ、3日目に日本レストランで雇ってもらえた。ラッキー!
 住処は日本人コミュニティー新聞の広告を見て見つけた。凱旋門に歩いて5分と言う抜群の立地条件をもつアパート。フランス人のご主人と日本人の奥さんのカップルがその古いアパートの持ち主で、日本人1人と外国人1人がすでに下宿していて、合計3人の下宿人がいた。ベッドとか机、洋服ダンスなどはあったけれど、ベッドやリネンなどは自分持ちだったので、買わなければいけなかった。引き上げる時は置いて行ったから家主の所には相当数のリネンが残っていると思うわ。余りきれいな所ではなかった。最初に日本人の下宿人と二人で大掃除をしたけど、ゴキブリの死骸があちこちにあって、ババッチかった。廊下に流しとコンロがついている簡素な台所とトイレがあったけど、月6万円の家賃で、高いと思った。
 フランスには1年いるつもりだったけど、11か月で引き揚げた。その間勤めた日本料理店「六甲」(仮名)は、板前2人とフロアマネージャーの同年代の日本人男性3人が始めた店で、客席が30人くらいの店だった。板前さん達はフランス語ができなかったけど、若いフロアマネージャは、フランス語がペラペラ。とてもおいしい料理を出す店だった。
 フランスで驚いたことは、犬が行儀良くて、ホテルやレストランにも入れたこと。赤ん坊はレストランに入れないのにと思うと、不思議。でも、犬好きの私は、素晴らしいことだと思った。勿論私のバイトしていたレストランにも犬が来た。でも、そのうちの1匹はかってに厨房に入り ゴミ箱から屑を食べるのには参ってしまった。私はその場面に出くわすと、その犬をいつも蹴とばしてやったわ。
 休みの日は美術館や教会へ、時にはバスや電車で郊外へでかけたものだ。見るものが沢山あって、退屈しなかったわ。ゴッホの村にはゴッホの小さな絵のある教会もそのままあったのが、今でも印象に残っている。

ちょさk

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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