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テス・マッケンジーさんの物語(最終回)

 1954年保健省からから働く気があるなら、職業訓練をしてくれると言われ、ビジネススクールに行くことを勧められました。その頃、 ザーコーとストットのふたつのビジネススクールがありましたが、ザーコーに行かせてもらいました。タイプと基礎英語は呉にいた時習っていたので、ビジネススクールではタイプと英語のスペリングを習いました。卒業した後保健省でタイピストとして働き始めました。その頃肺結核が蔓延したので、肺結核になった移民がいないかどうか、18歳以上の者は強制的に検査を受けさせられた。肺結核になった人は、今でも移民として受け入れられないことになっています。多分今でも永住権を取得するためには、肺結核にかかったいないことの証明と、無犯罪証明書が必要とされていると思います。
 保健省には地方を回るチームが3つありました。レントゲンをのせた車で、レントゲン技師、技師が2名、マネージャー、運転手とタイピスト二人が一つのチームになって地方に出かけます。月曜日の朝に出て金曜日の夜9時に仕事が終わるので、その間地方のホテルに泊まることになり、主人と離れ離れになる時間が増えました。主人はその頃軍隊の幹部候補生の指導をしていて、候補生たちを連れて地方に来たので、よく待ち合わせてデートしたものです。主人とのデートには同僚も協力してくれ、時間をくれました。この保健省の試みで8割くらいは肺結核が撲滅されました。1965年にはへ地方巡回が行われなくなりましたが、私は1961年にその仕事をやめました。
 子供は欲しかったのですが、2回流産、2回子宮外妊娠して、子宝には恵まれませんでした。話が前後しますが、1959年母が脳溢血で倒れたので、一時帰国をしました。その時13歳の姪が母の家にいました。その姪の父親、つまり私の兄は亡くなっていて、兄嫁は再婚して家を出ていたので、子供のいなかった私が姪を養女としてオーストラリアに連れて来ました。その手続きに13か月かかりました。姪はこちらで日本人と結婚して子供が3人で来きました。彼女は夫と二人でレストランの経営をしていたので忙しく、彼女の子供達は私が面倒を見ました。姪は結局その夫とは離婚し再婚しましたが、再婚相手も日本人だったので、日本に帰りました。その姪は3人の孫と9人のひ孫を残していってくれました。一番上の曽孫は24歳です。今でも皆よく遊びに来てくれます。
 1953年から1967年までリッチモンドに住みましたが、その後去年までクレイトンに住んでいました。主人は1985年に脳溢血で倒れ、その後アルツハイマーにかかりましたが、亡くなるまで家で夫の面倒を診ました。主人が元気だったころは主人と自動車でテントを持ってオーストラリア中を旅行したものです。西オーストラリアから南オーストラリアに1200キロにも渡ってあるナラボー平原は、素晴らしかったですよ。ナラボーでは、見たこともないような花が見れました。朱色の木を見た時は感動しました。100羽ばかりのダチョウの群れも見ました。ナラボーに行って見て、初めて地球は丸いと納得しました。
 戦争花嫁の会は主人が病気になってから入会しました、八重桜会と言うその会は。紫レストランで毎年25,6人で会食していましたが、最近は亡くなる方も多く、巧と言うレストランでした会食には14,5人しか集まらなくなり、最後は6,7名になったので、2年前(2016年)解散してしまいました。
 最近はリュウマチがあるので物が持てないし、腰が悪いので長歩きはできなくなりました。この度日本に旅行に行くのに、空港で車いすに乗せられたので、買い物にも行けなかったのが残念です。
 余り日本人だからと言って差別されたことはないのですが、一度だけ嫌な思いをしたことがあります。それは、田舎の退役軍人のためのレストラン(RSL)に入ろうとしたら、日本人は入れないと拒否された時です。主人が現役の軍人だったので、主人が私のことを説明してくれて入れてもらいましたが、あの時はショックでした。
 身内の自慢話をさせてもらえば、兄嫁の竹藤テルミは広島女学院卒業で、初めての婦人警官になった人です。兄の実も警官でしたが、短歌をたしなみ、短歌を教え始め、警察官たちに短歌を広めた功績が認められて、天皇から賞をもらいました。賞の名前は忘れてしまいましたが。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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