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渡辺鉄太さんの物語(4)

オーストラリアに来た理由
家のカミさんは大学卒業後ボストンの美大に行って美術を勉強をし直したんですよね。で、僕は英語が好きで、ジャーナリストになりたかったんだけれど、就職できなくって、英語教育の大学院に行ったんですよね。そこで、修士課程をやって、大学の英語の教員になったんですよね。小学4年の時、父が大学の研究休暇をとったので、僕たちはアメリカとイギリスで1年間過ごしました。だから英語は身近に感じていました。日大にいた時も交換留学でアメリカの大学に1年いましたし。アメリカの大学では幅広く勉強でき、言語学なんか面白いなと思いました。それで、国際基督教大学の語学教育の大学院に行ったんですよね。そして、千葉の明海大学の教員になったんです。ともかく東京近辺の大学で9年間教えていました。でも勤めていた大学がちいちゃな大学だったので、ここにずっといるのはつまらないと思ったんですよね。でもほかの大学に移ろうと思っても、博士号をもっていないと動けない時代になっていたので移るのは難しかったです。ちょうどその頃子供もできて、うちの女房もアメリカに留学したりフランスに留学したりしていたので、海外に行きたいねって話になって。子育てしながら勉強できるとこはどこかなと探したら、オーストラリアが一番良さそうだと言うことになって、日本の大学を辞めて、35歳の時、オーストラリアに来ました。もうオーストラリアに来て25年になります。
  オーストラリアに来る2,3年前に、母が亡くなり、少し遺産をもらったので、家を買う足しにしようかとも思ったけれど、その頃はバブルのはじける頃だったから、東京で家を買うと一生ローン返済に追われることになるし、そうなると日本を出られなくなる。だからこれを契機に大学もやめて海外に行って勉強しようと言うことになりました。色々候補地を調べたのですが、結局、今さっきも言ったように、オーストラリアが一番居心地よさそうだというので、オーストラリアに来ました。僕はモナシュ大学の博士課程に入学し、うちのかみさんは、Victorian College of the Artsの美術の修士課に入学しました。そして3年たった頃、就職口を探そうと思っていたら、タイミングよくメルボルン大学の仕事が見つかりました。でもメルボルン大学時代は死にそうに忙しかったですよ。仕事と博士論文、それに子育てに関するエッセーを日本の雑誌にも載せたり、翻訳もしたりしていましたからね。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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