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増岡ヒロミさんの物語(4)

主人はお金のない人でしたから、娘が小学校の時から、女も一人で身を立てる必要を感じていました。それに娘を国際人として育てると言う、自分の使命のようなものも感じていました。ですから、娘が小学校2年生の時から夏休みには外国にホームステイを一人でさせていました。外国人宿舎で知り合った人がメルボルンの人だったので、娘のホームステイ先はメルボルンにしました。私は、アメリカも好きじゃないし、イギリスも好きじゃないし、カナダは寒いしということで、オーストラリアにしたんです。1度私もメルボルンに来て、メルボルンがすごく好きになりました。Methodist Ladies College (MLC)からオファーもあったので、娘が小学校を卒業した時、MLC に6年間留学させることにしました。その時私も娘と一緒にメルボルンに来ました。私はその時45歳でした。メルボルンに住み始めて、オーストラリア人の友達が最初に連れて行ってくれたのはコブラムと言うメルボルンの北のサバーブでした。日曜日の朝、雨が少し降っていたんですけど、誰もいない。車一台動いていない。東京の人込みの中で暮らしていた私は、こんな所があるんだとびっくりしました。35年前のことですが、その頃はメルボルン自体静かな町でした。娘以上に私はメルボルンを気に入って、是非ここに住みたいと思いましたね。
 主人は床屋をしていたし、主人の両親もいましたから、娘と二人だけでメルボルンに来ました。でもその2年目に夫は日本で急死してしまいました。その時日本に2か月帰りましたが、その後は日本に帰る理由がなくなっちゃったんです。だからオーストラリアに永住することにしたのですが、それからは移民局との戦いでした。永住権取るのに、12年かかりましたよ。

ちょさk

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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