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日本人戦争捕虜第一号(1)

これは、実話に基づくフィクションである。

豊島一(はじめ)は、第二次世界大戦が始まって、オーストラリアで捕まった日本人戦争捕虜第一号だった。豊島はゼロ戦のパイロットで、日本がアメリカに宣戦布告をして3か月後の1942年2月19日にダーウィン空襲に出たのだが、エンジンタンクが砲撃され、燃料が漏出し、燃料不足になって、飛行機が落下し始めた。どうしても落下を食い止めることができなかった。「もう、だめだ」と思い、そばを飛んでいたゼロ戦パイロットの仲間に、さよならの挙手をした。そして、豊島の飛行機は、仲間の視界から消えて行った。だから、日本軍では、彼は戦死したものと思われ、彼の家族にそのように伝えられた。
 実際には、彼の飛行機はダーウィンの北70キロの所にあるメルヴィル島に不時着した。落ちた場所がジャングルの中だったので、誰にも見つからないように隠れたが、5日目に島の原住民に見つかり、オーストラリア軍に引き渡された。オーストラリア軍は日本兵を捕獲したことよりも連合軍で初めてゼロ戦を手に入れたのを喜んだが、豊島のゼロ戦は余りにも損傷がひどく、オーストラリア軍が期待したように零戦設計の詳細を知る手がかりとはならなかった。(この破損したゼロ戦の機体は、まだダーウィンに保管されているそうだ)
 豊島はオーストラリア本土に送られ、オーストラリア軍の尋問を受けた。その時、本名を名乗ると、日本にいる家族に迷惑がかかると思い、とっさに偽名を使った。
「南忠男です」
 上官の南雲忠一中将の名前をもじったものだったが、それ以降、豊島一は南忠男として生きることになった。これ以降、豊島を南と称して、話を進めていくことにする。
 南は捕虜になったことをひどく恥じていた。捕虜になるくらいなら死を選ぶようにと、軍隊で頭にたたきつけられていたからだ。そして、当然のことながら、これから自分の身に何が起こるのか、恐怖でおののいた。拷問をされるだろうと、覚悟した。ところが、拷問されることもなく、尋問された後は、トラックで何日もかかって、アデレード近郊にある、ラヴディ収容所に送られた。もっとも、炎天下のオーストラリア大陸縦断は、暑さと砂埃を受けてつらかったが。
その道中、南はこれまでの自分の人生を回想していた。
 南が飛行機乗りになると言った時、母親のコマツは血相を変えて、猛反対した。「そんなもん、死に行くようなもんやからやめろ。お前はおとんぼ(末っ子)やし、飛行機乗ったらいかん」
 それでも飛行機乗りに憧れて、申込んだ。ぐるぐる椅子を回されて、止まったところで、3メートル離れた小さな黒い点を指さすなどのテストを受け、一度落ちてしまったが、それでもパイロットになる夢は捨てきれず、2回目の挑戦し、なんとか合格した。そのあと、教官に殴られることなどは日常茶飯事の厳しい訓練を受け、一人前の零戦パイロットになっていった。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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