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イギリスから来た日本画(最終回)

「日本人村にいた画工は何人もいたとは思うけれど、一人名前が分かったわ。東京出身の伊藤雄之助って言う人がいたそうよ」と言う私の報告に、
「ふうん。でも、結局有名な画工ではなかったというんだろ」
と、シェーンの余り気がのらない風の返事。
シェーンが興味を持ってくれないのはわかっているが、私はもう一つの発見を付け加えた。
「タンナケルの最初の奥さん、おもとさんは、綱渡りが上手で、再婚相手の鏡ゴダイユに連れられて、サーカス団の興行をしながら世界中を回って、最終的にはオーストラリアに永住したんだって」
「それじゃあ、そのオモトサンと言う人も、タンナケルが初めてオーストラリアに連れて来た日本人のサーカス団の一員だったのか」
「それが、そうじゃないみたい。タンナケルがオーストラリアに連れて来たのはタンナケルの二度目の奥さん、おタケさんと言う人みたい。その頃にはおもとさんも再婚していたようよ」
「へえ。でも、そのタンナケルの最初の奥さんの子孫がオーストラリアに住んでいるというわけか」
「それが残念なことに、家系は絶えてしまったようよ。おもとさんとゴダイユの間には息子一人と娘三人がいたそうだけれど、息子は生後間もなくイギリスで死んだんだって。その息子のリトル・ゴダイユの墓がイギリスにできた初めての日本人の墓なんだって。おもしろいことには、3人の娘たちは全員違う国で生まれているの。長女のミニーはイギリスで、次女のタケはデンマーク、末っ子のカメはイタリア生まれなんだって。ミニーとタケは結婚したけれど、タケは若死にし、ミニーが娘3人を生んだだけで、そのミニーの娘たちは全員独身をとおして死んでしまったので、家系が絶えてしまったというわけ」
「そうか、それは残念だったな。ところで、今晩のご飯は何?」
シェーンに聞かれて、調べごとに夢中になっていて夕食を作るのを忘れてしまっていたのに気付いた。
「ごめん。まだ何も作っていないの。今晩、何が食べたい?」
申し訳なさそうに言う私に、シェーンはため息をつきながら、
「本当にしょうがない人だねえ」と、諦め顔で言った。

参考文献
倉田喜弘 「1885年ロンドン日本人村」 朝日新聞社
小田謄 「ロンドン日本人村を作った男」 藤原書店
高橋克彦 「倫敦暗殺塔」 祥伝社文庫

ちょさ

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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