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木曜島の潜水夫(2)

 兄から誘いの手紙をもらった富太郎は、オーストラリアに行こうと決心するのに、時間はかからなかった。母親に潜水夫になる決心を伝えると、「潜水夫になって死んだ人が多いって皆言っとるよ。やめとけ」と富太郎の渡航に反対したが、「お店に暮らしても一生、海を渡って真珠貝をとっても一生。それなら今時、市長さんほどの収入がもらえると言われる白蝶貝(真珠貝の一種)を獲りに行く」と、母親の反対を押し切って、村を出ることにした。村を出る前に写真館で父親と二人の記念写真を撮った。富太郎はジャイアント馬場に似た大きな長細い顔で、太いまつ毛と筋の通った鼻が印象的なハンサムな青年で、体もがっちりとした長身の男だった。その富太郎が、ハンチング帽をかぶり、羽織袴姿でかしこまった顔で座っている。その傍に父親の勝三郎が立ったまま、富太郎の肩に片手を置いている。勝太郎はカンカン帽をかぶって、肩掛けをした着物姿である。富太郎の両親は、もう富太郎には生涯会えないと思ったのだろう。その写真は富太郎が家を出てからは居間に飾られた。
 富太郎は、紺色の細かい縦じまの入った唐桟縞の着物にハンチング帽、そして柳行李を担いだ出で立ちで、村中の人の見送りを受けて、村を出た。もう二度と帰ることもないかもしれない故郷。未練はないと思っていたが、いざ離れるとなると寂しさが込み上げてきた。特に、弟の寿一は、涙を流しながら、「あんちゃん!元気でいろよ」といつまでも手を振って別れを惜しんだ。寿一は、富太郎が特に可愛がっていた弟で、よく背中に負ぶって、色んなことを教えてやったことを思い出すと、富一郎も涙が出て来て、何度も振り向いては、思い切り手を振ってこたえた。
 神戸に着くと、まず最初に神戸興行移民会社と言う、渡航者を扱う会社に行き、健康診断を受けさせられた。その頃の日本人にしては珍しく、172センチの長身の富太郎は体も頑丈で、健康診断には難なく合格し、3年の契約を結んだ。その契約書には次のようなことが書かれていた。。
•    乗組員には月5ポンドが支払われる。
•    雇い主はみそ、しょうゆ、缶詰などの食料を供給する。
•    天皇誕生日は、休日とする
•    日本から木曜島への費用と医療費を支払う。ただし、性病は除外。
•    死亡した場合は20ポンド以上の見舞金と労賃の残額を遺族に払う。
この契約は日本政府がオーストラリアで日本人労働者が搾取されないように、オーストラリア政府と交渉して得た権利を明記したものだった。しかし会社側がどれほどこの契約を実行するつもりだったのか、分からない。第一、木曜島には医者が一人もおらず、医療手当てがいる者は500キロ離れたオーストラリア本土に行く必要があったから、病気をしても医者に診てもらえる者はいなかったのである。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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