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木曜島の潜水夫(17)

 12月14日、トミーたちは正式に抑留された。16日までには木曜島に住んでいた300人以上の日本人が抑留された。トミーたちが抑留されている間、ジャップタウンは兵隊によって焼き払われ、代わりに兵舎が建てられた。日本人の持つ財産は没収され、記録を取られた。潜水服などが船に残されていたが、色んな装具を乗せた船もどこかに消えてしまった。串本ハウスの30分の1の利権をトミーは持っていたが、それもなくなった。家具も集められて焼き払われてしまった。トミーは突然無一文になってしまったのだ。それでも、トミーは、ジョセフィーンたちが無事だと聞いた時は、ほっとした。ジョセフィーンは島の人間だったので、抑留を免れたのだ。寄宿舎に閉じ込められたトミー達は、どうして日本が世界を相手取って、戦争を始めたのか、理解に苦しんだ。日本人であることをこの時ほど恨めしく思ったことはない。
 抑留されて2週間もたたないうちに、トミーたち日本人300人は、軍艦ジーランジアの船倉に押し込められた。新しくできた本土にある独身男性用の収容所、ヘイ収容所に移送させるためである。
 亜熱帯の船倉は蒸し暑く、息苦しかった。少しでも音を立てようものなら、戸口で銃を持って佇んでいる兵士が、音を立てた者に銃口を突き付けたので、恐ろしくて身動きができなかった。地獄の灼熱の中にいるようだった。喉がからからに乾いた。しかし飲み水は十分与えられず、仕方なく海水を飲んだが、海水を飲むと喉の渇きは一層ひどくなった。トイレはなく、食べ慣れない物を食べさせられるせいか、下痢になる者が多く、船倉の中は、汚物の匂いで充満した。トミーは換気扇の近くにいたが、それでも熱気と臭気は耐えがたかった。時折、オーストラリア兵が船倉から日本人を追い立てて、デッキに上がらせ、裸になるように命じ、ホースで水をかけて、体を洗い落とした。まるで家畜のような扱いだった。人間としてのプライドもズタズタに切り裂かれた。ただただ生き延びることで精いっぱいだったと言っていい。皆は、これから自分たちの身に何が起こるのだろうかと、恐怖に包まれていた。劣悪の環境にいたため、体調を崩す者も多かった。幸いにもトミーは病気にかからなかったが、病気になってもただ体を横たえて、船の揺れるまま、ジャガイモのようにゴロゴロと転がされる以外ない状態だった。クリスマスの日は、酸っぱい牛の胃のホワイトソースかけが振舞われたが、食欲はわかなかった。その12日間の地獄の船旅が終わったのは大晦日の日だった。1942年の正月には、シドニー湾に停泊したジーランジアに日本語が話せるオーストラリア人の将校が乗り込んで来て、皆に下船するように命じた。船倉をでると、真夏の太陽が照り付けて、まぶしかったが、外の空気を吸うと、やっと人間に戻ったように思えた。しかし旅は、そこで終わらなかった。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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