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木曜島の潜水夫(22)

 4月12日に安井に食堂で会ったトミーは、初めての日本人の戦争捕虜になった男がヘイ収容所に入れられたことを知った。3日前にラヴデイ収容所から移送された南忠男と言うその男は、零戦のパイロットだったと言う。
「あいつ、ラヴデイの収容所に入れられていた時、脱走をしようとして捕まったと言うことや。それで、ここに送られて来たそうや」
「脱走して、どこに行くつもりだったんだろ?」
「さあな」と言うと、安井はトミーに顔を近づけて、ひそひそ声で言った。
「実はな、あいつ、俺に一緒に脱走しないかと誘いをかけてきたんや」
「で、それで、誘いにのったんか?」
「まさか。脱走して、どこに行くんや?日本に帰っても兵隊に駆り出されるだけや。日本にいるより、この収容所の待遇のほうが、よっぽどいいに決まってらあ」
確かに安井の言う通りだった。
 ヘイ収容所では、暇な時間がたっぷりあった。だから、野球をする者、相撲を取る者、マージャンをする者と、皆それぞれ楽しみをみつけた。ギャンブル好きのトミーは、マージャンに夢中になった。賭けるものと言ったら、売店で買えるたばこや作業をしてもらったお金だった。麻雀はブルームから持って来た者もいたが、ヘイ収容所でも作られた。トミーは賭けに強かったため、ますますマージャンにのめり込んだ。
 トミーたちの周りは、天皇誕生日の4月29日が近づいてくると、俄然騒がしくなった。その日には、演劇会をしようというのである。トミーは人前に立つことは苦手で、城谷や安井が演芸会に情熱を燃やしているのを、傍らで見ていた。誰かリーダーがいるわけでもない。皆がわいわい「ああでもない」「こうでもない」と言い合ってできた芝居は、ハチャメチャであったが、演ずる者たちは、興に乗って、楽しげであった。演芸会では、踊りや歌も披露された。トミーも一緒に歌ったり、踊りに加わったり、久しぶりにはめをはずした。演芸会には収容所の所長や監視の兵も招待した。皆、付き合いで出席してくれたが、しばらくすると、一人二人と席を立って出て行った。無理もない。日本語の分からない所長たちには退屈だったことだろう。演芸会は延々と4時間も続いた。


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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