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木曜島の潜水夫(28)

トミーが5年ぶりに見た木曜島は荒廃していて、初めて見る場所のような錯覚に陥った。見慣れた建物は全て破壊されていて、自分たちの家もなくなっていた。勿論家具なども盗まれたり壊されたりして、何一つ残っていなかった。全て、一からのやり直しである。すでに島に帰っていた知り合いの中井治郎吉一家5人と柴崎も、戦前醬油工場やゲストハウスを経営していて羽振りの良かった山下一家も、トミーと同じ境遇に陥っていた。
 1946年4月になって木曜島は軍規制が解かれ、他の島人たちも徐々に島に戻り始めた。新しい住民の顔も見られた。戦前は島人は木曜島に住むことを禁じられていて、たとえ真珠貝産業に関わっていても、島には上陸できず、船の中で寝泊まりをすることしかできなかった。その法律が変えられ、島人が島に住み始めたため、戦前は日本人の方が多かったのが、今では島人の方が多くなった。昔から島に住んでいた人達は、トミー達を歓迎してくれたが、新しい住民は、トミー達を敵国の人間とみなし、口をきくことはおろか、話しかけても睨みつけて背を向けるばかりだった。トミーたちにとって、戦争は終わっていなかった。
 1946年8月になってやっと港が開港され、ワンダナ丸が木材や家具や食べ物などの荷物を運んで来て、やっと島の再建が始まった。ホテルも一軒できることになった。
 トミーもその頃約束通りボーデン真珠会社の仕事に復帰した。この会社だけが外人を雇ってくれ、他の日本人数名と共に、会社の一社員として雇われた。会社は20人の外人を雇うため移民局に2000ポンドの保証金を払い、移民局の許可なくしては、解雇できないことになっていた。 
 トミーはボーデン真珠会社の船ミナ―ヴァの船長兼潜水夫として働き始めた。戦前、あれほど潜水病で死ぬ人が多かったのが、戦後はその数が激減した。潜水夫に対する徹底した健康管理と、潜水器具の点検を厳しく行ったためである。
 トミーが抑留されていた間に、潜水のやり方も随分変わっていた。潜水服は今までのように重いゴム製品ではなく、ファネルでできたもので、膝や肘の所にキャンバス生地を張り付けた軽い物になっていた。そして、潜水夫に空気を送る機械は、手動から自動に変わっていて、仕事が楽になった。
 今までは、真珠貝採取が目的だった潜水も、ボタンとしての需要がなくなったため、ボーデン真珠会社はその名の通り、真珠採取が目的の会社で、真珠貝は余禄のようなものになっていた。

ちょさ

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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