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木曜島の潜水夫(29)

真珠をみつけるのは、容易なことではなく、5万枚の貝を採って、そのうち一枚に真珠が見つかるくらいだ。トミーは、幸運にも1949年、千ポンドの値打ちのある真珠を見つけた。その次の年も2000ポンドの値打ちのある真珠を見つけ、真珠採取の名人とうたわれるようになった。
 真珠貝産業は、再建され始めたものの、1950年になっても、島の建物は破壊されたままの物が多かった。破壊された家の周りは草ぼうぼうだった。
 1951年になって、トミーは会社から独立したいと思い、潜水夫の免許を申請した。会社も応援してくれたが、免許取得はできなかった。まだトミーが敵国の国民だったことが尾を引いていたのだ。
 しかし、トミーにとって、この頃が今までで一番幸せな時だったと言えよう。トミーは、小さな木造のボートを持っていたが、ジョセフィーンが、そのボートを漕いで海で魚を取って来て、料理した魚を食卓に並べることが多かった。ジョセフィーンは料理が大好きで、家族のみならず、お客さんをもてなすことも大好きだった。ジョセフィーンは実家で中国料理を食べ慣れていたためか、日本料理のみならず、中国料理も得意で、色んな香料の入り混じった香がいつも台所に立ち込めていた。そして彼女の料理は絶品だと客をうならせた。
 どの家も以前の生活を取り戻し、よくホームパーティーが開かれて、トミーの家では来客が絶えなかった。呼ばれなくても家に立ち寄れば、トミーもジョセフィーンも歓迎してくれた。客は日本人のみならず、白人も黒人もいた。トミーの家では、週末になると、バンドを呼んで、ダンスパーティーもした。そんな時は、トミーとジョセフィーンが、優雅に「テネシーワルツ」や「リンゴの花が咲く頃会いましょう」と言う、当時はやっていた曲に合わせて踊る姿が見られた。ギャンブル好きのトミーは来客とトランプ遊びや花札にも興じた。そこには、いつもジョセフィーンの笑い声がはじけていた。ジョセフィーンはおしゃれも好きで、彼女のファッショナブルなドレスは、町の話題になった。その頃になるとジョセフィーンは食べることも好きだったため、肉付きが良くなり、トミーを圧倒したが、それだからと言って、トミーのジョセフィーンに対する愛情には変わりはなかった。ナマコやサバの卵の醤油かけが、トミーの好物だった。晩御飯を食べた後は、家族そろって波止場に行き、イカや魚を釣るのが一家の習慣になった。トミーは、5年間の空白の時間を取り戻すかのように、家族との絆を大切にした。
 トミーの家から2軒離れたところに、ジョセフィーンの弟、フレディーと彼の妻ベッスシーが住んでいたので、トミーとジョセフィーンはちょくちょく彼らの家に立ち寄り、島の噂話に花を咲かせた。

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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