中野不二男氏インタビュー記事(最終回)
更新日: 2024-08-03
質問:先生の方から、お話ししたいと言うこと、ありますか?先週、群馬大学の連携プロジェクトで高校生1,2年生に講演頼まれてやってきたんですけどね、要するに世の中のためになると思ってやるな、とにかく好きなことを徹底してやれ、好きなことをやると、また好きなものが見つかってくる。どんどん好きなことを追求していくと、結果として、それが役に立つと。僕なんか衛星データは面白くて自分の趣味で始めたんですけど、それで、こんな遺跡が見つかるんじゃないかとか、津波の恐れも見えてくるんじゃないかとか、結果的に役に立つことが見えてくるんであって、人のためにやろうなんて思うなと、そんな下心を持つなって感じでしょうかね。講演の後、皆小論文みたいなのをまとめてくるんですけど、僕があんなことを言ったものだから、誰も社会の役に立つと思っていないと言う感じでしたね。まあ、下手なことを書いたらまた中野先生に叱られると思ったんでしょうね。役に立とうと思ってやると、研究が二流三流になっちゃいます。カウラのことを調べたときは、まさにそうでしたよね。どうしてだ、どうしてだと、自分が関心があってやったんであって、まあ結果的には社会的な意味もそこでは現れてきましたけれどね。最初からそんなことを目的としてきたわけではないですしね。
僕が執筆活動をしていた頃は、立花隆さんとか柳田邦夫さんとか、皆頑張っていて、スケールが大きかったですよね。お二人とは親しくさせてもらっていて、柳田さんとは色々やりとりしましたが。あの頃はダイナミックなことを考えて書く人たちが多かったですよね。だからノンフィクションが面白かったんでしょうね。
最近は皆大きいテーマに食いついていかなくなったんじゃないでしょうかね。たとえば僕は真珠湾攻撃の時に潜航艇で突っ込んでいって座礁してとらえられて捕虜一号になった酒巻和男さんと言う方を取材したことがあります。酒巻さんは真珠湾で戦争捕虜になった関係で日本にはいづらくなって、トヨタ自動車に勤務しておられたんですけど、ブラジル・トヨタの社長になって、サンパウロに住んでいたんですよ。僕が酒巻さんに手紙を書いてお会いしたいと言ったら、向こうも会いたいと言うことで、サンパウロに行く旅費など皆文芸春秋が出してくれましたね。酒巻さんは空港まで迎えに来てくれたり、あちこち案内してくれて、いろんな話をしてくれて、東京裁判に出廷した時のことも話してくれたんですが、最後に言われました。「中野さん、随分メモ取っているけれど、私が生きているうちは本を出さないでくれ」って。シドニー湾に特殊潜航艇で突っ込んだ松尾敬宇さんとか、伴勝久さんの遺族にも会いに行ったんですよ。色々調べまくりましたが、皆書かないでほしいと言うことでした。文芸春秋社は膨大な取材費を投入してくれたけれど、事情を話すと出版を諦めてくれました。「メモだけは残しておいてね」と言われました。まだそのメモ、おいてますけどね。
歴史的な大きいテーマってまだまだたくさんあると思うんですよ。でもノンフィクションって言ってもみんな自分の話を書いてますよね。エッセイはエッセイでいいんだけれど、歴史をひっくり返すようなことを調べて書いてもいいと思うんですよね。特に今はインターネットなどで調べやすくなってきているわけだから、もっと大きなテーマに飛びついてもいいんじゃないかなあと思いますよね。
シドニー湾の特殊潜航艇、結局本には出せませんでしたけど、あれ出すときにシドニー湾の潮流はどうなっているんだろうかなあと、港湾関係のオフィスに行って海図とか見せてもらって、日本に似たような湾として愛知県の知多半島にある湾内で、どういう潮流になるんだろうかなと海洋研究所に見せてもらいに行ったりしました。海底の砂はどのくらいの速度で流れていくか、それによって航艇位置が計算できるのはないかと思っていてね。ノンフィクションは、自分が初めて見つける事実、それが楽しいんでしょうね。
著作権所有者:久保田満里子
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