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恐怖の一週間(5)

私は家に帰っても、ベッドルームに足を踏み込む勇気がでなかった。
急いで夕べの残り物を掻きこんで夕飯をすませると、私は部屋の片づけをした。
ダンが出張で家にいないので、段々部屋が乱雑になっていたのだ。
部屋が片付いた頃、玄関の呼び鈴がなった。
ドアを開けると麗子が立っており、麗子の後ろには、50歳くらいのほっそりしたあごひげをはやした男が立っていた。
「水木先生をお連れしたわ」
水木は、なんとなく仙人を思わせるような男だった。
「お待ちしていました。どうぞ、お入りください」
私はスリッパを2足だして、麗子と水木にはかせた。
二人を応接間に通すと、まず麗子が口を切った。
「水木先生に大体の説明はしたけれど、もう少し、くわしく事情を知りたいと先生がおっしゃっているので、詳しい話を聞かせてくれない?」
私は自分の恥をさらけ出すようで一瞬たじろいたが、説明もしないで助けてくれというのは虫がよすぎるだろうと思い直し、ぼつぼつと話し始めた。
「昔、妻子ある人と恋愛をして、子供ができたんです。でも、恋人から子供をおろしてくれといわれて、中絶したことがあるんです。それが、おとといまだ目もできていないような胎児の夢を見たんです。その胎児が殺さないでくれと哀願しているんです。私は胸を押しつぶされそうな気持ちで目を覚ましましたが、その時、布団カバーが5センチばかりの円形の血に染まっているのを見て、ぞっとしました。それで、終わるのかと思ったら、今日は、私のパジャマの袖に血しぶきがかかったように血痕がついているんです。不気味なことが続いて、精神的にまいっています」
黙って腕を組んで私の話を聞いていた水木は、
「その子を成仏させなければいけませんなあ。このまま放っておくと、あなたに災いをおよぼしますよ」と、おもむろに言った。
「どうすればいいでしょう」
「水子に戒名を付けてあげましょう。明日その戒名のついた札を持ってきますから、そのお札に向かって毎日唱え文句をあげてください。とりあえず、今日はお払いをして帰りましょう」
私は、ほっとすると同時に、水木にどのくらい謝礼すべきなのか気になり始めた。
「すみません。おいくらお支払いすればいいのでしょうか?」
「まあ、支払いはお札をあげたあとで、結構です」と、はっきりした値段を言ってくれなかった。
でも、いまさら断わることもできない。私はともかくお払いをしてもらうことにした。
ベッドルームに二人を案内すると、二人は、ベッドサイドテーブルにろうそくを立て、線香をたき始めた。そしてベッドの側の床に座ると、水木がなにやらお経らしきものを上げ始めた。何を言っているのか理解はできなかったが、水木を信用する以外にない。私も言われるままに、麗子と一緒に水木の後ろに座って、お経を聞いた。お経の単調な音と、ラベンダーの香りがかすかに漂うお香をかぎ、ろうそくの炎に照りだされ、暗闇に浮かぶ水木の後姿を思い浮かべながら、1時間ばかりすわっていただろうか。その間、私はまた実際に水子になったわが子を見たように思った。そして思わず手を合わせて、心の中でわびていた。
お経が終わり、水木が私のほうに向き、
「これで、災いはまぬがれましょう」と、威厳のある声で言った。私は、ほっとした。
水木と麗子が帰ったのは、10時を過ぎていた。これで今日は安眠できると、その晩はいつものように10時半に床についた。これで、明日の朝、奇怪なことが起こらなければ、万々歳なのだが…。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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