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オーストラリアの学生諸君(最終回)

メルボルンに帰って最初に車を降りたミッシェルは「皆、私の失恋をダシにして、ゴールドコーストに遊びに行けたんだから、私に感謝してよね」と笑いながら手を振ってうちの中に消えていった。冗談が言えるようになったミッシェルに、皆ほっとしたものだ。
旅行の翌日は成績が発表される日だった。だからインターネットで自分の成績を調べてみた。政治が78点、歴史が82点、文化研究が77点。ところが、哲学を見ると32点になっていた。32点と言えば、学期中にやった宿題の合計点と同じではないか。と言うことは、試験が0点。そんなはずはない。あんなにがんばって勉強して、試験もよくできたはずだ。何かの間違いに違いない。すぐに、哲学担当のホームズ教授にメールを出した。
「ホームズ教授
哲学1の科目を受講していたケイト・カーターです。学生番号は012849です。私の試験の結果についてお聞きしたいことがあるのですが、会っていただけませんでしょうか。
ケイト」
ホームズ教授からすぐに返事が来た。みんなのうわさではホームズ教授はいつでもすぐに返事をくれるので、一日中コンピューターの前に座っているのだろうということだった。
「ケイト
明後日からアメリカの学会に出かけるので、明日の朝なら会えます。明日11時に私の研究室にいらっしゃい。
ベン・ホームズ」
翌朝私がホームズ教授の研究室に行ったのは言うまでもない。
ホームズ教授に椅子を勧められて座ると、すぐに話を切り出した。
「先生。哲学1の私の成績が32点になっていましたが、試験の点数を入れるのを忘れられているのではないでしょうか。学期中の課題で32点もらっていましたので、どうしてもおかしいと思うのですが、私の試験の解答用紙を見せていただけませんでしょうか。」
ホームズ教授は、私の言葉が終わるのを待たずに私の試験の解答用紙を、私の目の前に差し出した。
「僕は、どうして君がこんな解答用紙をだしたのか、さっぱり分からないのだが」と言った。
手渡された解答用紙を見て、私は驚きで息を呑んでしまった。
解答用紙は私の名前で埋め尽くされていたのだ。「ケイト・カーター」と限りなく書かれていた。そのほか、何も書かれていなかった。
私は余りの衝撃に打ちひしがれて、夢遊病者のようにふらふらとホームズ教授の研究室を後にした。



著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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