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EMR(8)

理沙は、ハリーに会った翌日から調査を始めた。
 朝の満員電車では、人と接触しないわけにはいかない。ひしめき合う電車にかろうじて乗ると、嫌でも人の腕や体に接触する。たくさんの乗客にいっぺんに接触することになると、色んな人の声が同時に聞こえてくるので、収拾がつかなるのではないかと、不安になった。押し合いへしあいしながら、理沙は比較的空いている奥のほうの座席の間に立って、その側に座っている人の肩に触れてみることにした。
 実験第一号となったのは、理沙のそばに座っていたインド人の若者だった。EMRをつけ、彼の肩にそっと触れると、すぐにはっきりと心の声が聞こえてきた。
「お袋が早く国に帰って来いというけれど、帰りたくもないなあ。最近はメルボルンではインド人を狙っての暴行が増えたけれど、それにしても、友達のラジンがオーストラリア人の若者にナイフで切りつけられて胸を大怪我して病院に運ばれたのは、ショックだったなあ。一命は取り留めたものの、退院したところで、こんなところにはいたくないってインドに帰ってしまったけれど、俺はまださっさとインドに帰るっていう気はしないなあ。せっかくオーストラリアの大学を卒業して、オーストラリアの永住権も取ったのに、それを捨てると言うのは惜しい。でも、そうかといって命も惜しいし。オーストラリアの警察は一体何をやっているのかなあ。今まで何人もインド人が怪我をさせられているのに、犯人が一人も捕まらないなんて、手をぬいているんじゃないかなあ。護身術でも習ったほうがいいかな。俺もナイフを持ち歩いたほうがいいかなあ。一番腹が立つのはどうして俺たち、インド人が暴行を受けなくちゃいけないかということだ。オーストラリア社会で目立つといえば俺たちインド人よりもソマリアやナイジェリアから来た黒人のはずなのに。まあ、黒人のほうが体がでっかいから、喧嘩したら勝ち目がないと思うんだろうか。俺達、あんまり大きくないから俺たちのほうがねらいやすいのかもしれないな。今までも俺も白人の男のティーンエージャの集団に囲まれて、『自分の国に帰れ!』って怒鳴られたことがあったけれど、あの時はこわかったなあ。実際には暴行は受けなかったけれど、あの時は殺されるかもしれないって思って、手足がぶるぶる震えて動けなかったもんなあ。オーストラリアの政治家たちはオーストラリアには人種差別がないってしきりに宣伝しているけれど、口からでまかせもいいところだよ。結局は俺達が大学や専門学校に支払う金が欲しいだけじゃないか」
 とりとめもなく流れるそのインド人の青年の想念は、怒りと迷いに満ちていた。
 理沙も、オーストラリアに住む少数民族の一人なので、その青年の思いが他人事とは思えなかった。第二次世界大戦の時、日本軍のオーストラリア人の戦争捕虜に対する扱いがむごかったというので、戦争直後オーストラリアに住んでいた日本人は、オーストラリア人の憎しみをかったと知り合いのおばあさんから聞いたことがある。とばっちりを避けるため、中国人を装った日本人もいたそうだ。外国に住む人間は、母国と居住する国との関係によって、友好だった隣人もいつ敵になるのかわからない不安を抱えて生きていることに、理沙は改めてぞっとさせられた。幸いにも、理沙は今のところ、オーストラリアにいて人種差別のために生命の危険を感じた経験はない。もっとも、時折店員や役所や病院の受付のつっけんどんな態度に腹を立てることはあるが、それが人種差別からくるものか,ただサービス精神に欠けるためなのか、はっきりしないことが多い。
 また、そのインド人の青年の背中にそっと触れてみた。
「やっぱり、護身術を習ったほうが、よさそうだな。来週から、空手のクラスでも行こうかな」
 理沙は、思わず「それがいいわ」と口に出しかけて、慌てて口を押さえた。
 理沙の降りる駅、メルボルン・セントラル駅に着き、下りるとき振り返って見たその青年の顔は、憂いに満ちていた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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