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EMR(29)

 ムハマドとアバスは、理沙をリリーデールの物置小屋に置き去りにして逃げた後、アバスのおんぼろ車に乗って、ハサームが準備してくれていた隠れ家に向かった。
ハサームは、ムハマドとアバスが通っている教会の長老で、日ごろからオーストラリアで、イスラム教徒が虐げられていることを嘆き、青年たちにジハード(聖戦)を説いていた。つまり自爆テロを起こせと言う。ジハードした者は、天国に行ける。天国では七十二人の処女と交わることができ、酒も果物も肉も思う存分に楽しむことができると言う。それに死んだ後は皆から殉教者として崇め奉られると言う。ムハマドは天国の話も魅力的ではあったが、殉教して皆から崇め奉れるということに魅了されていった。何しろ口下手でおとなしいムハマドは皆から無視されることが多かった。特に同じ教会で毎週会うブシュラは、その美しさで青年たちの憧れの的だったが、ブシュラから見向きもされないことがつらかった。ブシュラの姿を見かけただけで、ムハマドは息をするのも苦しく感じるほど、ブシュラに恋していた。ジハードを実行すれば、きっとブシュラも自分を見直してくれるだろう。そんな思いがムハマドの心の中で段々大きく膨れ上がっていった。
 オーストラリアでは、ほとんどの人は外国人に寛容であったが、アメリカで起こった同時多発テロの後は、アラブ人に対する風当たりが強くなった。
教会の建物が何者かによって、ペンキスプレーで落書きをされた時は、自分の中の神聖なものを傷つけられたようで、許せなかった。ムハマド自身、オーストラリア人の若者に取り囲まれて「イスラム教徒なんか、自分の国に帰れ!」と罵倒されたこともある。ハサームから、パキスタンに軍事訓練に行かないかと声をかけられると、すぐに行くことに同意した。そして、パキスタンの北のアフガニスタンとの国境近くのジャングルの中で、いろんな国から集まってきた二十人ばかりの若者と一緒に、武器の使い方、格闘の仕方、爆弾の作り方などを学んだ。ターバンを頭に巻きつけたリーダーは、自分の命をアッラーーの神に捧げるのが、いかに崇高なことであるかを強調した。ムハマドはますますジハードこそが自分の使命だと信じるようになっていった。だから、オーストラリアに戻ってきてハサームからジハードの話を持ちかけたれたとき、即座に「やります」と答えた。アバスも兄貴がやるのなら僕も仲間に入れてくれと言って、二人で組んでやることになったのだ。
それから毎週休みの日には、ハサームが準備してくれた隠れ家で、爆弾作りに励んだ。その爆弾が出来たのが二週間前だった。
親にさえも気づかれること無く、計画は順調にすすんでいたはずなのに、あの、理沙とか言う女が現われてからは、すっかり計画がくるってしまった。アバスは逃げる前にあの女を殺しておくべきだったと言うが、ムハマドは、あの女の言うことが本当だったら、もう警察に自分たちのことが知られているのだから、あの女を殺しても何の得にもならなかったと思う。
用心の為、アバスの車はファントリーガレー駅に停めた。そうすれば、たとえ車が見つかったとしても、電車でどこかに行ったように思わせることができる。隠れ家は駅から歩いて五分のところにある。
静かな通りのレンガ造りの小さい家は、何の変哲もない。その通りには、同じような家が佇んでいた。玄関のドアを開けると、ハサームが出てきた。
「何だ。もう帰って来たのか?早いじゃないか」
 ハサームは、計画が漏れたと言うことに気づいていない。
「計画がもれた」とムハメドがボサッと言うと、ハサームの顔色が変わった。
「何だって!どうしてもれたんだ?」
「分かりません。奇妙なアジア人の女が、僕の心が読めたなんて言って、警察に知らせたんだそうです」
「お前の心が読めた?どういう意味だ?」
「僕にも分かりません。ともかく僕たちが来週の月曜日に爆破テロを起こすことだけは、知っているようです」
「まずいことになったな。それじゃあ、計画は一時延期にするか・・」
弱気になってきたハサームに対して、ムハマドはきっぱりと言った。
「いや、予定通りにやります」
「大丈夫か?」
「はい。どうやら爆破の時刻も場所も知らないようですから、うまくいくと思います」
「それじゃあ、こちらに来いよ。ビデオカメラを取り付けたから、お前たちの両親に言い残したいメッセージや、オーストラリアの馬鹿どもに伝えたいことがあったら、録画してやるよ」
「お別れの言葉?まだ、何も考えていないので、ちょっと考えさせてください。最後くらいかっこいいこと言って死にたいですからね。おい、アバス、お前、先に撮ってもらえ」
 ムハマドは後ろで黙って座っているアバスに向かって言った。
「俺だって、まだ考えていないよ」
「じゃあ、明日にしようか。明日一日たっぷり時間がある。でも、警察に目をつけられたなら、外を出歩かないほうがいいな。自分からむやみに電話するのもやめろ。いいな」
 ハサームは命令口調で言った。
 ムハマドは黙ってハサームの命令を聞いていたが、ブシュラに会うことができなくなったことを知り、うら悲しい気持ちになった。
 日が暮れ始めて辺りが薄暗くなってきた。
「おい、お祈りの時間だぞ」とハサームが言うと、三人はカアバ神殿のある方向に向かってひざまずくと、ひれ伏して祈り始めた。一日にする五回の祈りの四度目の祈りだった。ムハマドは、自爆テロが成功するように、神に祈りを捧げた。

著作権所有者:久保田満里子









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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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