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私のソウルメイト(44)

 水曜日のケビンへのお金の引渡しのとき、私がその場にいても仕方がないと思ったので、京子一人に任せ、会社に出かけた。
出社すると、デイビッドが、すぐに私のところに来て、
「ご主人が大変だったんだってね。ご主人の容態はもういいの?」と心配顔で聞いてくれた。
「一ヶ月の静養で職場復帰できるみたいです」と、言うと
「それは、よかった。最近、心筋梗塞で倒れる人が多いんだよね。僕も気をつけなくっちゃなあ」と、自分の突き出た太鼓腹をたたいて、席に戻って行った。
 水曜日、退社した後、京子に会いに、京子のアパートに行った。ケビンとの件を聞くためである。
京子は私の顔を見ると、
「うまくいったわよ」と、ニンマリ笑った。
「どこで、お金と写真の取替えをしたの?」
「向こうが指定してきたのが、ヒルトンホテルの一室だったのよ。お金を引き渡す前に、写真の入ったカメラのメモリーをくれたけれど、そんなもの、自分のコンピュータにダウンロードすれば、いくらでもコピーができるから、カメラのメモリーをもらったって、仕方ないわよね」
「それで、かまをかけてみたの?」
「そう。あなたの言ったとおりだったわ。私たちが彼のことを調べたなんて予想もしていなかったみたいで、銀行のお金の使い込みのことを言ったら、一瞬驚いた顔をして、どんな証拠があるんだって、うそぶいたわ。否定しなかったところを見ると私たちのにらんだとおりだったみたい。ばっちりその彼の顔、録画してきたわ」と言うと、コンピュータで、その録画を見せてくれた。
カメラの写せる範囲が狭いので、ケビンの顔の鼻が見えたり、口だけ見えたり、ケビンの動きによって、被写体は静止してはいなかったが、ケビンだと言う事は分かった。カメラには撮影の日付と時間まで出ていた。
「絶対彼のことだから、またお金がなくなってきたら、あなたを脅してくるわよ。それまで、このビデオが存在することも彼に言ってはだめよ。そうしないとこのビデオを取り返そうとして、あなたに危害を加えるかもしれないから」
「そんなことは、分かっているわ。私一人がこのビデオを持っていては危険だから、あなたにもコピーを持っていてほしいの。もうコピーをつくったから」と、京子は私にメモリースティックを私に渡した。私は、それを掌に受け取った瞬間、拳銃でも渡されたように、背筋がぞくっとした。
 うちに持ち帰ったメモリースティックを、私は洋服ダンスに入っている靴の箱の中に入れた。ここだと、何かの探し物をするにしても、アーロンもダイアナも開けはしない。
 それからの毎日は平穏を取り戻したかのように見えた。あれからケビンが何か言ってきたということは聞かなかった。アーロンもリズのことを一言も言わない。ロビンとは、あれっきり会うこともなかった。
 しかし、アーロンが退院し、仕事に復帰してから、アーロンと私の関係が極めて悪くなっているのが、明らかになってきた。私は、アーロンが浮気した事実が目にちらついて、アーロンの体を触るのを避けた。アーロンも体の調子が元に戻ったわけでもないせいか、私の体に触れようともしなかった。そして、うちに帰っても、物思いに沈んでいることが多くなった。私が話しかけても
「え? 今なんていった?」と聞き返すことが多くなった。ロビンに夢中になっている時の私を鏡越しに見るような気がした。アーロンはリズに恋をしている。彼の憂鬱そうな顔を見ると、私は段々そう確信していった。
その確信は、職場復帰して1ヵ月後に現実のものとなった。
それは、土曜日の午後だった。新聞についているスドクと言う数字のパズルに夢中になっていた私の前に、深刻そうな顔をしてアーロンが来て「話があるんだけど…」と言った。私は、胸がドキッとした。アーロンが何を言いたいか、私には分かっていたからだ。
「もとこ。君は、病院でリズに会ったんだろ?」
「ええ、会ったわ」
「僕があの晩リズと一緒だったってこと、君は知っていて、何も言わないんだね。どうして何だ?」と、静かだが、厳しい口調で言った。
「どうして? じゃあ、私になんていってほしいの?」
私は、怒りがこみ上げてきて、声が大きくなるのを禁じえなかった。幸いにもダイアナは、アーロンが入院中に見つけたウエートレスのアルバイトに行ってうちにはいなかった。
「あなたが浮気をしていたことを知って、私が苦しまなかったとでも思っているの? あなたを責めたい気持ちもあったけど、病気のあなたに精神的な苦痛を与えるのはしのびなかったので、誰にも言っていないわ。それとも、あなたのご両親やダイアナに、あなたが浮気している時に、倒れたと言ってほしかったの?」
アーロンは私の剣幕に一瞬ひるんだようだったが、また自分を取り戻して、静かな悲しそうな声で言った。
「リズのことで君を苦しめたことは、謝るよ。でも、この2ヶ月、ずっと考えたんだ」
「何を?」
一瞬うつむいた後、思い切って顔をあげ、まっすぐに私の顔を見て、アーロンは答えた。
「君とこのまま一緒に暮らしていくか、それともリズとこれからの一生を過ごして生きたいのか」
「それで、結論が出たって訳?」
「うん。決心したよ。僕も今度の入院で、人生いつ終わるか分からないということが、分かったから、残りの人生は、自分の好きなように生きたいって思ったんだ。リズといると、僕は自分が生きているていう気がするんだよ。彼女といると心が躍るんだ。君に対する愛情がなくなったというわけではないけれど、僕はリズと一緒にこれからの人生を送りたいんだ。ごめんよ」と言うと、アーロンの目から涙がこぼれ始めた。アーロンの涙を見るのは初めてだったので、私は動揺してしまった。そして、アーロンはリズに対して本気だったのだと、思い知らされた。私はアーロンのうなだれて泣いている姿を見ると、ロビンに夢中になっていた自分のことを思い出した。「因果応報」こんな古めかしい、仏教の言葉が頭に浮かんだ。私は、もうアーロンを引き止めるすべがないことを感じ、アーロンとすごした21年の月日が走馬灯のように浮かんでは消えた。そして私も声を出さずに泣いた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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